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奇跡体験!アンビリバボーで紹介

農園地帯に突如として現れる全長1kmに渡るギターをかたどった森

●家族だけで作ったギターの森

1969年に結婚したペドロさんとグラシエラさん

結婚後、ペドロさんは彼女を養うために借金をして農場を開き、毎日懸命に働いた

2人は4人の子供に恵まれた

グラシエラさんは子供の頃から音楽が大好きだった

特にお気に入りだったのがアコースティックギター

そんな彼女には密かに抱いていた夢があった

「もし私たちの森がこのギターみたいな形をしていたらすごく素敵だと思わない?」

ペドロさんはこの頃 借金をして作った農場の経営に必死でゆっくりと妻の夢を聞いてあげられる余裕などなかった

 

ギターの森

そんなある日の事、破裂脳動脈瘤で妻のグラシエラさんは亡くなった

亡きグラシエラさんの夢を実現するため、1979年、一家は行動を起こした

数十年後にギターの森を完成させるための植樹

 

google map

ペドロさん「木を植えてからも木がまだ若いうちは野兎や猪に噛まれたり倒されたりして何度も植え直さねばならず大変だった。でも子供たちは何の文句も言わず雨の日でも風の被でも何年もずっと手伝ってくれました。彼女が生きている間にこの森を見せてあげられなかったのは残念ですが、これだけ大きければきっと彼女が今いる場所からも、この森は見えているんじゃないかって信じているんです」

 

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世界一受けたい授業で紹介

2人の子供を持つ新聞のコラムニストが全財産を投げうって買ったマイホーム

そこはライオンやトラなどの動物で一杯の資金難で荒れ果てた閉園中の動物園

素人園長が崩壊寸前の動物園をわずか9か月で立て直すまでを描いた実話映画

「幸せへのキセキ」

モデルはイギリス南部にあるダートムーア動物学公園、園長のベンジャミン・ミー

敷地面積、東京ドーム2.5個分

動物は全部で250頭、トラが7頭、ライオンが3頭、クマが3頭、オオカミの群れなど

値段は120万ポンド(1億8千万円)

2005年4月、きっかけは妹から送られてきたパンフレット

資金難の動物園が競売に出されていた

ベンジャミンはすぐに買おうと決めた

当時の仕事は新聞のコラムニストで年収400万円、仕事は充実していたが、

小さい頃から動物が好きでいつか動物に関する仕事をしたいという夢があった

子供たちは動物と暮らせると喜んでいたが、妻のキャサリンは猛反対

先日亡くなった父の遺産が動物園の売値とほぼ同額だという事を

キャサリンに話し何とか説得することが出来た

実はこの動物園は資金難で4か月前にすでに閉園していて、

あと11日で動物たちが殺処分される運命だった

ベンジャミンは(動物を救いたい)という一心だった

2006年10月、動物園に引越し

飼育員は快く歓迎してくれた

閉鎖されて4か月、ほとんどの飼育員が辞めてしまい、

たった6人がボランティアとして自腹でエサや薬を買って世話していた

動物園を維持するには莫大な費用が必要だとこの時に気付いた

動物の餌代や飼育員の給料など運営には月に400万円もの大金がかかる

さらに資金不足で老朽化した多くの施設を早急に直す必要があった

そして動物園を購入してから9か月後、7月7日に営業を再開できることになった

開園当日、入り口のゲートには開園を待つたくさんの人々が列を作ってくれていた

昨年は目標観客数6万人の見通しを大幅に超え、15万人を動員した

●妻キャサリンの支え

実は動物園を買う2年前、キャサリンは脳に腫瘍が見つかり摘出手術を受けていた

そんな彼女も自然や動物と触れ合う生活をすれば病状も回復すると思った

キャサリンも最初は経済的な理由から反対していたが、最後は心から応援してくれていた

そして施設の財務管理という重要な仕事で支えてくれた

ところが動物園を買って3か月後、キャサリンの脳腫瘍が再発

すでに腫瘍は広範囲に転移していて手術は不可能

化学療法に頼るしか術はなかった

ベンジャミンは動物園の再建を急いだ

キャサリンに動物園の開園を見てもらいたかったから

しかし2007年3月31日(開園3か月前)

キャサリンの容態が急変、40歳の若さでこの世を去った

動物の命を救うために動物園を買ったのに最愛の人の命を救うことが出来なかった

動物園の開園を3か月後に控えながら、ベンジャミンは正直もう辞めたいと子供のように泣いてばかりいた

そんな時、6歳の息子に言われた「パパどうして泣いているの?僕は泣かないよ」

「どうして泣かないんだい?」

「僕が泣くとパパもママももっと悲しくなるでしょ?強くなってパパを助けてあげたいんだ」

この一言がベンジャミンを立ち直らせるきっかけとなった

動物園のロゴはグラフィックデザイナーが本業だったキャサリンがデザインしてくれたもの

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それは全米を感動させた一人の少女の実話

●エレナが遺した天国からの愛のメッセージ

 

エレナは絵を描くことが大好きな女の子

愛情たっぷりの両親と2歳年下の妹:グレースに囲まれて幸せに暮らしていた

しかし6歳の誕生日を間近に控えたある日…母はエレナの体の異変に気付く

エレナはろれつが回らず真っ直ぐ歩けなくなってしまった

病院での検査の結果、下った診断は悪性の脳腫瘍

医師から宣告された余命は4か月半

両親はエレナに残された時間を特別なモノにしてあげたかった

本当の病状は隠し、エレナの為に出来るだけ時間を作って一緒に出掛ける

彼女のやりたい事を思う存分させた

夢だったイルカと泳ぐ夢もかなえた

必ず治ると励まし続けた両親

しかし病状は次第に悪化

右半身は麻痺して動かなくなり、声も出ない

痛みを抑えるため投与されたステロイドの副作用で顔は大きく腫れた

それでも体調が良い日は利き腕とは逆の左手で絵を描いた

そして4か月半過ぎてもエレナは生き続けた

しかしついに限界を迎え、余命先刻から8か月半後、

2007年8月11日、エレナは天国へと旅立った

 

悲しみにくれる両親

しかしエレナは両親にあるモノを遺していた

別れから数日後、母親が何気なくエレナが好きだった本を開いたその時…

中から小さなメモが出てきた“ママ パパ 愛している”

エレナが書いたモノだった

 

しかしメッセージはこれだけではなかった

 

父が長年使っていたカバンの中にも、“愛してるパパ”

その後もエレナからのメッセージは本棚やタンスの中、家の至る所から見つかる

さらにエレナの手紙は妹のグレースにも“グレース愛してる グレースゴーゴー!”

 

エレナは自分に残された時間がわずかであることを知り、

愛する家族へ手紙を書いていたのかもしれない

自分がいなくなってもさみしくないように…と。

 

エレナからの手紙は見つかり続けた

両親は敢えてすべて探そうとしなかった

死から6年経った今でもたまに手紙は見つかるという

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