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奇跡体験!アンビリバボーで紹介

イギリス コーンウォール州に住むカップル

軍隊に所属するニックと教師のエイミー

高校で出会い、すぐに恋に落ちた2人は、8年間の交際を経て2013年に婚約

2014年7月に結婚式を挙げる予定だった

結婚式を数週間後に控えたある日

2人がニックの祖父母の家に結婚の挨拶に訪れた時だった

何気なくエイミーがアルバムを見ていた時、

エイミーが「この写真って?」

それは20年前にニック家族が海へ行った時、

砂遊びをする子供たちを撮った写真だった

思い出したエイミーは「ニック…私達やっぱり運命で結ばれていたのよ」

「えっ?」「あなたの後ろに写っている私なの!」

 

●運命の赤い糸で結ばれたニックとエイミー

 

2人は高校で出会う11年前に、すでに出会っていた

当時、ニックは現在いるコーンウォール州から600㎞離れたケント州に住んでいた

家族旅行でたまたま離れたコーンウォール州を訪れ、ビーチで写真を撮影

しかもそのマウスホールビーチは、ニック家族が初めて訪れた場所だった

そのビーチこそ、エイミーの自宅のすぐそばにあった

その日、たまたま海に遊びに来ていたエイミーが、

ニックの写真に偶然写り込んだ

 

 

さらに写真の右側にはニックの家族、

左側にはエイミーとエイミーの家族が、両家が揃って写っている

20年後の未来を予知した奇跡の写真だった

そして2014年7月26日、ニックとエイミーは念願の結婚式を挙げた

2人が選んだ式場は、20年前に初めて出会った 思い出のビーチに建つ教会

 

「最初 写真を見たときは何かの冗談だと思いました。たまたまとられた写真にたまたま私が写り込むなんて…やっぱり運命の赤い糸はあるんだと思いました」とエイミーは後に語っている

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奇跡体験!アンビリバボーで紹介

2012年5月、アメリカ アイオワ州

テイラー・モリスは海軍の爆発物処理班に所属

数か月前からアフガニスタンの紛争地域で地雷の処理にあたっていた

地雷はテイラーの両足と両腕までも吹き飛ばした

事態を知らされた恋人の介護福祉士をしていたダニエル・ケリーは、

ショックと不安で心が押しつぶされそうだった

 

●両手両足を失った兵士を支え続けた恋人の無償の愛

出会いは中学生の時、とにかく気が合った2人は大親友になった

そして高校に進学すると恋に落ちた

2人はデートを重ね、愛を深めていった

高校卒業後、テイラーは海軍に入隊し、爆発物処理班を志願

一方、ダニエルは在宅看護に仕事をしつつ地元の大学へ進学

 

世界をまわる4年間の任務終了まであと2ヵ月と迫っていた

そんな矢先…テイラーはアフガニスタンで事故にあった

ダニエルはテイラーに会うまでの間、思いを巡らせた

怖くなるのか?逃げたくなるのか?気分が悪くなるのか?大泣きするのか?

手足を失った恋人を愛し続けられるのか? 事故から3日後、ダニエルはワシントンの病院に搬送されたテイラーの元に駆け付けた

ダニエルが目にしたのは、何とか一命は取り留めたものの両足を失い、

右手は手首から下を左手は肘から下を失った変わり果てたテイラーの姿だった

その瞬間、不思議な事にダニエルは心の底から安心した

テイラーを前と変わらず愛しく思う自分がいた

「大丈夫、テイラー、私たちは乗り越えられるわ」

ただ一つダニエルが恐れていたことは、

四肢を失った彼が生きる事に絶望してしまう事

 

数週間後、意識がはっきりしてきたテイラーが直面したのは、

普通に出来ていたことが何一つ出来なくなっていた現実だった

幸い奇跡的に脳や脊髄に損傷はなかった

「ダニエル 僕は大丈夫だ。だから君はもう…」

「2人で一緒に目の前にある小さなことを一つずつクリアしていくの。必ず乗り越えられるわ」

 

ワシントンの病院でリハビリが始まった

ダニエルは仕事を辞め、テイラーのいる病院に泊まり込み、

医学療法、傷のケア、人工装具について学びながら過ごした

ダニエルの両親も2人の交際に反対することはなかったという

 

入院から1ヵ月で義手を付けたテイラーは、

2か月後には義足を装着し歩行訓練を始めた

短い義足に慣れ、痛みに耐えながらも昔と同じ身長になる義足で歩く事にチャレンジした

そして事故からわずか3か月後にはテイラーは義足をつけ街に出かけた

「全体的にみると絶望的になってもおかしくない状況でした。でも1つ1つの場面を思い出すと座れるようになった、また歩けるようになった、と喜びに満ちた画期的な出来事の連続でした」

そして4か月後にはダニエルとダンスが踊れるまでに回復

義手と義足を操り、少しずつ自分でできる事も増えてきた

隣にはいつもダニエルの姿がある

事故によって環境が変わっても一緒にいる事が何よりも楽しく、

何よりも幸せ、改めてそう感じるようになった2人

 

2014年5月、テイラーは2年に渡る病院でのリハビリ生活が終了したばかり

地元アイオワ州に戻り2人で新生活を始めていた

結婚は落ち着いてから改めて考えるのだという

2人にとって籍を入れるかどうかはあまり重要ではないそうだ

「彼は私のもう半分の体のような存在なのです」

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●国王の座を捨て日本人女性と結婚した元オマーン国王

現国王の叔父にあたる第6代 タイムール国王が国を治めていた1935年

タイムール国王は身分を隠し、世界旅行をする中で日本に立ち寄った

そして神戸で運命の出会いを果たす

ダンスホールで踊る日本人女性と恋に落ちた

その女性は大山清子(当時19歳)

愛し合った2人は結婚を誓い合う

しかし年齢が倍以上離れている上に、結婚相手として中東の人は珍しく、

清子の両親は猛反対した

そして清子の両親は結婚にある無理難題な条件をつけた

“娘と結婚したいならオマーンではなく日本に住んでください”

タイムール国王は国王の座を弟:サイードに譲り、再び日本へ帰ってくる

出会ってから1年後の1936年、

不可能とも思われた大きな壁を乗り越え、ついに結婚

さらに驚くべきことに、妻:清子にさえ国王であることを伏せていたという

元国王だけに清子にドレスや宝石を買い与え、

神戸の丘に建てた豪邸で優雅な生活を送った

夫婦の間に1人娘が誕生、節子と名付けた

彼女は後のブサイナ妃となる女の子

娘の誕生に国王の座を引き継いだ弟のサイードが来日

この一件で夫がオマーンの国王だった事に気付く

しかし幸せな日々は、長くは続かなかった…

清子は23歳という若さで腎盂炎を患い他界した

その後、夫は兵庫県東加古川市に清子のお墓を建てるとオマーンに帰国

娘:節子の将来を考え、王族の相続権を得られるよう手配した

しかし1941年、第二次世界大戦が開戦し、日本国内は激しい戦禍に包まれた

オマーンは当時、日本の敵国であるイギリスと関係が深かったため、

タイムールもブサイナ妃も、その後、日本に戻る事は出来なかった

 

娘:ブサイナ妃は王宮で生活

母の死から39年後、ブサイナ妃は日本を訪れ、母の墓参りをした

人目をはばからず墓の前で泣き崩れたという

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タカトシの涙が止まらナイトで紹介された妻の遺影と旅行する男性の話

 

キャビンアテンダントして15年…私には忘れられない出来事があります

それは成田発、カナダのバンクーバーに向かう機内での事

客室乗務員として乗務していた私は、

何とも言えない寂しそうな顔をしたお客様のことが気になりました

体調でも悪いのか、確認のため私は座席に向かいました

 

その男性の座席の隣には、女性の遺影が…

 

実は家内なんですよ…

結婚30年の記念に初めて女房を

海外旅行に連れて行ってあげる約束をしてたんですが…

旅行の1か月前に…突然 脳内出血で亡くなってしまって…

 

旅行を本当に楽しみにしていた、お母さんを旅行に連れて行ってあげて、

と娘に諭され、男性は妻の遺影を持ち込みこの飛行機に乗り込んだ

さらに、席の隣にお母さん以外の人が座ったら、お母さんやきもち焼くと思う

横の席 買ってでもいいからお母さんの席を作ってあげて

 

出発の時にお前が待ち望んでいた海外旅行に連れて行ってやるぞ

と声をかけたんですが…返事が無いのがこんなに寂しいとは思わなかったです

 

あの寂しそうな顔は返事がないことの寂しさを痛感した瞬間の顔だったのです

私はこの人のために何ができるだろう、と考えました

「奥様がここに居られましたら何をお飲みになりましたか?」

「赤ワインが好きな女房でした」

「承知いたしました」と、奥様の分も赤ワインをご用意しました

この夫婦のために一体 何が出来るのか?

話を聞いた他の客室乗務員は、夫婦が少しでも旅を楽しんでもらいたいと、

飛行機の中にある花を全て集めて奥様の遺影の前に贈ったのです

 

「本当に良い旅行になりました。女房も喜んでいると思います」

「いってらっしゃいませ」

あの後姿を私は一生忘れる事はありません

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タカトシの涙が止まらナイトで紹介された

●ある母親が娘に初めて語った「この世で一番大切な日」の物語

 

私達の結婚生活はゼロからのスタートでした

両家の反対を押し切り、駆け落ち同然ではじめた結婚生活は、

まるで絵に描いたような貧乏生活だった

「ごめんな、ちょっと待ってな」

指輪なんて無くても私は幸せでした…

 

営業マンだった夫は朝から晩まで身を粉にして働き、

私もパートで働き、それはもう大変な生活でした

 

結婚10年目で出来た娘は、素直ないい子に育ち、

贅沢ではないけど幸せってこんな事なんだなぁ

って実感する毎日を過ごしていた時でした…

 

ある日、夫が入院…

医師から夫はもう助からないと知らされました

夫には言えませんでした…

しかし夫はもう助からない事を悟っていたのかもしれません

 

「今日、何日やった?」「2月…3日…」「誕生日おめでとう。そこ…」

衰弱した夫が弱々しく指した棚の中にあったのは…指輪…

「16年も待たせて、ごめん…」

夫は友人に頼んで指輪を用意してくれていたのです

1ヶ月後、夫は眠るように天国へと旅立ちました

 

たった16年で終わった結婚生活

貧乏で不幸だったと言われたらそうだったかもしれません

でも振り返ってみると浮かんでくるのは幸せな瞬間ばかりなんです

最初で最後の誕生日プレゼント

それはいつか約束した小さなダイヤが一つだけ付いた綺麗な指輪でした

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