世界番付で紹介

●3万分の1の奇跡

アメリカに住むトラヴィスとタエーシャは、

お互いに結婚を意識する年齢

 

しかしトラヴィスには結婚に踏み切れない理由があった

それは先天性腎疾患…

トラヴィスの腎臓は生れつき25%しか機能しておらず、

この時、医師から宣告を受けていた

彼の場合、助かるには腎臓移植を受けるしかない

治療を続けるが、適合するドナーが見つからない

彼の腎臓に適合するドナーは、30000人に1人

家族全員が臓器移植を試みるが、適合しなかった

 

トラヴィスは自らの死を覚悟していた…

 

しかし奇跡が起こる…

 

3万人に1人の適合者が見つかる

その人物は、恋人のタエーシャだった

 

手術は無事成功、3か月後…

 

順調に回復したトラヴィスとタエーシャは、

メジャーリーグでの始球式を務める事に

大役を務め抱擁する2人…するとトラヴィスが片膝をつき、

「君のことを誰よりも愛してる。結婚してください」

大観衆の前で永遠の愛を誓った

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●チュチュを着た中年男性の愛は乳がんに侵された妻を救う

 

ボブ・カーレイはアメリカの絶景スポットを中心に

ピンクのチュチュだけを身にまとい、

自ら被写体となって写真を撮り続けているプロの写真家

 

「12年前、妻が乳がんと診断された時、彼女のために何かしたいと思った」

 

2002年、20年近く連れ添った最愛の妻:リンダさんが進行性の乳がんに侵された

病状は重く明るかった妻は、それ以来あまり笑わなくなった…

「そんな頃、たまたま撮ったチュチュの写真を見せたら妻が大喜びしたんだ」

 

愛する妻の笑顔をもう一度見たい…

ボブは20年以上積み上げたプロ写真家としてのキャリアを捨て、

妻のために写真を撮り続けるように

 

乳がんとの戦いを応援するピンク色のチュチュをまとって…

 

 

「夫がピンクのチュチュを着て踊りまわってる姿を見たら自然と笑顔になるの。彼はそんな私をいつも前向きにさせるの」とリンダさんは語った

 

それから10年以上、ボブが妻のために取り続けた写真は数えきれない

 

妻の病状も徐々に開放へと向かっている

 

そんな彼の写真は写真集となり、その収益は乳がん患者の治療費へ充てられる

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テレビで放送された たった4分半の予告編

 

それは韓国で製作された映画「7番房の奇跡」

 

主人公は知的障害を持つ父親とその娘:イェスン

障害を乗り越え幸せに暮らす2人

 

ところが父は誤解から無実の罪をきせられていく

無情な人間たちによって父は犯罪者に仕立て上げられてしまった

そのまま逮捕され収監された

転校することになった娘は、馴染めずひとり寂しく父を思った…

父も塀の中で娘に会いたいと思いを馳せていた…

 

そんなある日ヨングに命を助けられた7番房の房長と仲間たちが、

娘イェスン潜入大作戦を決行、2人は塀の中で再会

 

しかし二人の幸せな時間は長くは続かず…親子は引き裂かれてしまう

 

「パパずっとここにいて。私が会いに来るから。怒らないから“いい所”に行かないで」

 

 

鼻をすすり、胸がこみ上げ、たかが予告編なのに涙が止まらなかった

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奇跡体験!アンビリバボーで紹介された男に心が揺さぶられた

●23年ぶりの奇跡のライブ

伝説のバンド:ROGUEの奥野は今…

群馬県にある障碍者支援施設で重度の障害者として暮らしている

正常に動くのは胸から上の部分だけ、肘から先の手も自由がきかない

 

同じ群馬県で生まれた奥野敦士と香川誠は18歳で上京

音楽の専門学校で出会った彼らは意気投合、共にメジャーデビューを目指した

安アパートで一緒に暮らすギリギリの生活

それでも夢だけは諦めなかった

●1985年、2人が中心となり結成したROGUEがメジャーデビューを果たす

代表作は奥野が作詞作曲を手掛けた「終わりのない歌」

1989年、日本武道館で行われた単独ライブで8000人を動員

伝説のバンドとなった

しかし翌年、ROGUEは突如解散

それは奥野の一方的な理由からだった

「解散しようと思ってるんだよね。そろそろ自分のやりたい音楽とかさ、やりたい時期に来てるんだよね」

2人はわだかまりを抱えながら決別

それぞれ新しい道を歩み始めた

奥野はソロ活動のかたわら役者としても活躍、その活動は多岐に渡った

一方、香川もギタリストとして氷室京介らと共演など成功をおさめた

月日が流れるにつれ奥野は、

現実の厳しさを思い知らされるようになっていた

徐々に仕事が減り、生活は荒んでいった

いつしかバンドの仲間が恋しくなっていた

同じくROGUE復活を望んでいた香川

再結成のために荒んだ生活から脱却したい奥野は酒を断つことを決意

解体業の仕事を始め、生活を一変させた

そして夜は復活ライブに向け、曲作りに精を出した

●2008年9月11日、奥野は地上7mの屋根から地面に転落した

目を覚ましたのは事故から数時間後のこと

診断結果は頚椎損傷…奥野は胸から下が全く機能せず、

トイレにも行けない完全介護の身となった

厳しいリハビリが始まった

それは歩けるようになる為ではなく

腕や手なの動く可能性が残っている筋肉をほぐし、

僅かな改善を目的としたものだった

事故から2か月が過ぎた頃、奥野は一人屋上に出た

歌が歌えるか確認するため…だが、

歌を歌うための腹式呼吸ができなくなっていた

その後、香川は一度だけ奥野の見舞いに訪れた

しかし2度と行くことはなかった

2009年4月、ベルトでお腹の圧力を加えれば声が出る事が分かり、

以来、声のリハビリを繰り返した

歌のリハビリを開始してから1年半が過ぎた頃、

奥野は自分が歌っている姿を撮影した

●「終わりのない歌」とは?

上京してみると思い描いていた都会とはちょっと違う

寂しい思いもいっぱいしている、孤独感とか

そういう思いを曲に出来たらなと思って…

歌詞にある“臆病者の鳩がガード下で群れを成して”は

上京した直後の上野駅で見た光景だった

孤独に負けていたら何もできない人生は自分との闘いなんだ

●2018年8月、ミスチルの桜井が車いすで歌う奥野について熱く語った

「奥野さんのような状況になってもクシャクシャの笑顔で楽しくハッピーに歌を歌っていたい」

香川はこのライブを偶然、目にした

会場で流れた映像で初めて奥野の歌声を聴いた

「何だ歌えるんじゃん」

そして香川は奥野の元に向かった

「奥野、ROGUEを再結成しないか?」

どうせやるならと香川の発案でチャリティーコンサートして開催

収益金で福士車両を購入し、前橋市に寄付することになった

 

 

●2013年10月19日、23年ぶりにROGUEが復活した

2013年12月29日、群馬県高崎市で行われたイベントには1000人のファンが訪れていた

再結成を記念してCDが発売されていた

香川「新曲を出し続けないと意味がない」

奥野「ROGUEとしての活動はずっと続けていこうと思う」と語った

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行列のできる法律相談所で紹介された

●やり場のない思いを受け止めてくれる不思議な郵便局

想いを伝えたくても伝えられない…

瀬戸内海に浮かぶ人口290人の香川県 粟島

2013年10月、漂流郵便局が開局した

ここには決して普通の郵便局には出せない手紙が届く

“天国の両親へ”“愛する地球へ”“将来の私のだんなへ”など

人、もの、動物、どんな相手への手紙も受け付けてくれる

手紙は私書箱に保管され、

漂流郵便局に訪れた人なら誰でも読める

郵便局長は生まれも育ちも粟島の中田勝久さん(79歳)

2013年に開かれた瀬戸内国際芸術祭に

作品として漂流郵便局を出展した久保田沙耶

ここに届く手紙が感動すると話題になり、

芸術祭が終わった後も続けることに

そこで粟島の本物の郵便局に

45年間勤務した中田さんに白羽の矢が立った

すでに400通を超える手紙が寄せられた

 

“来年 還暦を迎えるアナタへ

私は本当にあなたと結婚したかった

あなたのお嫁さんになって人生を一緒に歩みたかった

でも私はあなたの元へ嫁ぐことは出来なかった

生木を裂かれるように泣く泣く別れ

それでも道を歩いて

あれから30年以上経ったけど

やっぱり今でも忘れられない

アナタの事が好きです

もう会う事はないけれど

この気持ちはこの先もずっと変わらず

胸の奥深くに持ち続ける事でしょう”

 

“亡き夫への手紙

急に貴方が旅立ってしまってから

私は毎日涙が出て、私が困らないように

事務的な事をちゃんとしており

仏壇に手を合わせては泣いております

遺品の中に私宛てのラブレター

一冊の大きな帳面に墨で描いて残しており

六十五年後に見つけたのは大きなありがたさで

また泣いております

私に対する気持ちが初めから別れの時まで同じで幸せ

来世で会うことが出来たら感謝

帳面は紫の風呂敷に包み、ベッドに入れてます”

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