夫婦愛/恋愛」カテゴリーアーカイブ

●チュチュを着た中年男性の愛は乳がんに侵された妻を救う

 

ボブ・カーレイはアメリカの絶景スポットを中心に

ピンクのチュチュだけを身にまとい、

自ら被写体となって写真を撮り続けているプロの写真家

 

「12年前、妻が乳がんと診断された時、彼女のために何かしたいと思った」

 

2002年、20年近く連れ添った最愛の妻:リンダさんが進行性の乳がんに侵された

病状は重く明るかった妻は、それ以来あまり笑わなくなった…

「そんな頃、たまたま撮ったチュチュの写真を見せたら妻が大喜びしたんだ」

 

愛する妻の笑顔をもう一度見たい…

ボブは20年以上積み上げたプロ写真家としてのキャリアを捨て、

妻のために写真を撮り続けるように

 

乳がんとの戦いを応援するピンク色のチュチュをまとって…

 

 

「夫がピンクのチュチュを着て踊りまわってる姿を見たら自然と笑顔になるの。彼はそんな私をいつも前向きにさせるの」とリンダさんは語った

 

それから10年以上、ボブが妻のために取り続けた写真は数えきれない

 

妻の病状も徐々に開放へと向かっている

 

そんな彼の写真は写真集となり、その収益は乳がん患者の治療費へ充てられる

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●耳の聞こえない彼女の夢を叶えた彼の愛

1977年、山形県米沢市に生まれた清美さん

清美さんは生まれながらにして重度の難聴、そのレベルは1種2級

人が話す言葉や音楽は聞き取れない

しかし母の猛特訓により幼稚園に上がる頃には、

人の口元を見て言葉を読み取れるように…

小学生になった清美さんはテレビに釘付け

視線の先は松田聖子

歌声は聞こえなくても松田聖子は輝いていた

私も歌を歌いたい、でも耳が聞こえない清美さんには歌うことなどできない

高校を卒業し就職

 

2002年6月、清美さんは北千住の駅前で

一人のストリートミュージシャンと出逢う

耳の聞こえない清美さんに不思議なことが…

目の前で歌う彼の声が清美さんの体を震わせた

そして“私は耳が聞こえませんが今度隣で手歌で歌の表現をさせて下さい”

と手紙を渡した

清美さんの強い想いに動かされ、申し入れは受け入れられることに

彼の名前は佐々木厚

2人は北千住の駅前で路上ライブをやる事に…

厚さんは歌を、清美さんは手話でサインボーカルを

何度も路上ライブを重ねていく中で、

清美さんはやっぱり歌姫になりたい、あの夢が甦る

その想いを聞いた厚さんは清美さんの夢を叶えるための詩を書いた

曲の名は「キセキ」

耳の聞こえない清美さんには音程を取ることなど不可能

何度も何度も繰り返し間隔だけで音程を覚えるしかない

3ヵ月間、猛特訓が続き2002年9月、ついに念願の初ライブの時がやって来た

しかし上手く音程を取る事は出来なかった

彼女は限界を感じていた…

しかしそんな時、厚さんがかけたのは前向きな言葉ばかり

厚さんは決して諦めようとはしなかった

どんなに時間がかかってもいい、2人で奇跡を起こそうと誓った

 

2003年、2人の夢だったレコーディングが実現

レコーディングは簡単にはいかなかったが、厚さんは諦めない

清美さんの傍でずっと励まし続けた

そして2004年11月、「♪キセキ」でメジャーデビューを果たした

 

しかし音楽の世界は甘くはなかった

徐々に仕事も減り、厚さんはバイトをしながら地道に活動を続ける事に…

 

気付けば9年の時が過ぎていた

清美さんの歌の活動も少なくなり、2人が会う事はなくなっていった

会わなかった空白の時間が、清美さんは厚さんが、

厚さんは清美さんが、1番大切な人だと気付かせてくれた

出会って12年、長い時間がかかったが2人は結ばれることに

結婚式に向けた清美さんは生まれて初めて歌詞を書いた

自分の夢の実現のために常に傍で励まし続けてくれた厚さんに感謝の気持ちを込めて

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それは宮崎県新富町の普通のお宅:黒木低

春には、1200坪の庭にシバザクラが咲き誇り、

観光客が1日3000人くらい訪れる

そのシバザクラは奥さんに贈ったプレゼント

 

●観光客が訪れる妻に贈ったシバザクラ

昭和31年、お見合いで2人は結婚した

3人の子宝に恵まれ、酪農業を営んでいた

苦しい生活ながらもおしゃべり好きな靖子さんのおかげで笑顔の絶えない毎日

そんな2人の夢は、いつの日か日本全国の名所を見て回る事

しかし、靖子さんが52歳の時、糖尿病の合併症により失明してしまった

失明したことによりすっかりふさぎ込んでしまった靖子さん

家に閉じこもりがちになり口数も減っていった…

そんな靖子さんの姿を見て敏幸さんはある行動に出る

敏幸さんの姉の自宅の庭に綺麗に咲くシバザクラを見かけた

家にこもりがちになった靖子さんの話し相手を集めるために、

シバザクラを植える事にした

たった一人ひと株ひと株 苗を植え、少しずつシバザクラを増やしていった

そして20年後のシバザクラが…

 

 

春になると美しいピンクの花が庭一面に咲きほこる

靖子さんによると「満開になったら甘酸っぱい匂いがします」

美しい庭を一目見ようと観光客で賑わうように

そして靖子さんはやって来るお客さんと話に花を咲かしている

敏幸さんが植えたシバザクラは、再び靖子さんの笑顔を取り戻した

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世界一受けたい授業で紹介

2人の子供を持つ新聞のコラムニストが全財産を投げうって買ったマイホーム

そこはライオンやトラなどの動物で一杯の資金難で荒れ果てた閉園中の動物園

素人園長が崩壊寸前の動物園をわずか9か月で立て直すまでを描いた実話映画

「幸せへのキセキ」

モデルはイギリス南部にあるダートムーア動物学公園、園長のベンジャミン・ミー

敷地面積、東京ドーム2.5個分

動物は全部で250頭、トラが7頭、ライオンが3頭、クマが3頭、オオカミの群れなど

値段は120万ポンド(1億8千万円)

2005年4月、きっかけは妹から送られてきたパンフレット

資金難の動物園が競売に出されていた

ベンジャミンはすぐに買おうと決めた

当時の仕事は新聞のコラムニストで年収400万円、仕事は充実していたが、

小さい頃から動物が好きでいつか動物に関する仕事をしたいという夢があった

子供たちは動物と暮らせると喜んでいたが、妻のキャサリンは猛反対

先日亡くなった父の遺産が動物園の売値とほぼ同額だという事を

キャサリンに話し何とか説得することが出来た

実はこの動物園は資金難で4か月前にすでに閉園していて、

あと11日で動物たちが殺処分される運命だった

ベンジャミンは(動物を救いたい)という一心だった

2006年10月、動物園に引越し

飼育員は快く歓迎してくれた

閉鎖されて4か月、ほとんどの飼育員が辞めてしまい、

たった6人がボランティアとして自腹でエサや薬を買って世話していた

動物園を維持するには莫大な費用が必要だとこの時に気付いた

動物の餌代や飼育員の給料など運営には月に400万円もの大金がかかる

さらに資金不足で老朽化した多くの施設を早急に直す必要があった

そして動物園を購入してから9か月後、7月7日に営業を再開できることになった

開園当日、入り口のゲートには開園を待つたくさんの人々が列を作ってくれていた

昨年は目標観客数6万人の見通しを大幅に超え、15万人を動員した

●妻キャサリンの支え

実は動物園を買う2年前、キャサリンは脳に腫瘍が見つかり摘出手術を受けていた

そんな彼女も自然や動物と触れ合う生活をすれば病状も回復すると思った

キャサリンも最初は経済的な理由から反対していたが、最後は心から応援してくれていた

そして施設の財務管理という重要な仕事で支えてくれた

ところが動物園を買って3か月後、キャサリンの脳腫瘍が再発

すでに腫瘍は広範囲に転移していて手術は不可能

化学療法に頼るしか術はなかった

ベンジャミンは動物園の再建を急いだ

キャサリンに動物園の開園を見てもらいたかったから

しかし2007年3月31日(開園3か月前)

キャサリンの容態が急変、40歳の若さでこの世を去った

動物の命を救うために動物園を買ったのに最愛の人の命を救うことが出来なかった

動物園の開園を3か月後に控えながら、ベンジャミンは正直もう辞めたいと子供のように泣いてばかりいた

そんな時、6歳の息子に言われた「パパどうして泣いているの?僕は泣かないよ」

「どうして泣かないんだい?」

「僕が泣くとパパもママももっと悲しくなるでしょ?強くなってパパを助けてあげたいんだ」

この一言がベンジャミンを立ち直らせるきっかけとなった

動物園のロゴはグラフィックデザイナーが本業だったキャサリンがデザインしてくれたもの

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