日本人」タグアーカイブ

タカトシの涙が止まらナイトで紹介

 

●バツイチ子持ちのヒーロー

 

良平君へ

 

いよいよ再来月にあなたと入籍してやっと一緒に暮らせます。

こんなコブ付きでいいの?って今でも思っています。

 

ありがとう。

 

 

良平君と出会ったのは2年前の冬

地下街から地上にある本屋さんへ行こうとして

階段の下を通っていた時でしたね

私が子供を乗せたベビーカーを押しながら

近くにエレベーターがないか探していたら

ふいに後ろから現れたあなたは

「上に行くんですか 僕が持って上がりますよ」と言って

ベビーカーを両手で抱えて歩き出してくれました

そのベビーカーを軽々と…というわけには でも いかなかったね

赤ちゃんが乗っているんだと思ったんでしょ?

そこには私の7歳になる息子の翔平が乗っていました

小児マヒで歩く事の出来ない大きな赤ちゃんです

あなたは想定外の重さで歪みかける顔を慌てて笑顔に戻して

「私も持ちますよ」と言っているのに「いやいや大丈夫」と

やせ我慢でひきつった表情のまんま運んでいきました

そしてなんと途中で手を滑らせ、

ベビーカーから翔平を落としかけてパニックになり

自分が足をグネってしまって もうそこでギブアップ

あとは力持ちの私が まさにベビーカーを上まで運び

そのあとであなたに肩まで貸しました

それを見て息子の翔平が久しぶりに笑ったの

 

良平君 ありがとうね

そしてこんな私を大事な長男が初めて結婚する相手として

認めてくださったご両親に心から感謝しています

「ええカッコしぃでブサイクなバカ息子をお願いね」

と笑って言ってらっしゃったけど

お母さん 良平君は私の そして翔平の

颯爽と現れたかけがえのないヒーローなんですよ

(998)

スポンサード リンク

タカトシの涙が止まらナイトで紹介

●命を救った奇跡の落書き

それは大学3年生の夏の出来事

酔って車にはねられた彼は病院にいた

飲み会や麻雀、ゲームなど遊び呆けていた彼が寝るのは大抵 朝方

病院のルールは厳しく、朝6時に起床、消灯後はテレビも音楽を聴くのも禁止されている

ある日、ヘッドフォンでロックを聴いていると、隣のベッドの寺内さんが戻ってきた

「いいことを教えてやるよ。2年前には入院患者用の喫煙所があったんだ。また入れるようになったんだ」

「どこにあるんですか?」「屋上だよ」

屋上の隅に一室しかないトイレがあった

ふと目の前の壁を見ると…“痛くて眠れない死にたい”と書かれてあった

その下には“私も似たようなものです”

さらに“頑張れ!俺もなんとか生きている”と落書きは続いていた

利き腕が使えない彼は、その下に“がんばれ!”と続けた

それから雨の多い日が続いた

「秘密基地が閉鎖されるみたいだ」と寺内さんから聞いた

彼らが落書きの主に届けたいメッセージが、もう人の目に触れる事すらなくなってしまう

彼は屋上に急いだ

“弱音はいくら吐いてもいい その分一生懸命生きろ!”と落書きが増えていた

“508号室に来い 俺はそこにいる”“神様が呆れるくらい生きてやれ!”

“あなたの味方がここにはたくさんいます”“絆だな~♡”

“お前ならできるぞ!”“Fight!Fight!”“俺も辛い でも乗り切ろう”

“一人じゃない”“泣くなよ 笑えよ”“生きろ!”

届いていた…“ありがとう”僕らの想いはちゃんと落書きの主に届いていた

大学3年の夏、入院生活でほとんど使い果たした最悪の夏休み

でもそこで触れた温かさは今の僕の大切な宝物…

(1008)

タカトシの涙が止まらナイトで紹介

●何をしても長続きしない女

あるところに何をしても長続きしない女性がいました

つまらない…やりたくない…私のやりたかったことじゃない…言い訳ばかり

就職してからの仕事もすぐに辞めてしまう

いつしか正社員として彼女を雇う会社はなくなっていった

その後、派遣社員になるも やはりすぐに辞めてしまうのだった

こんな私じゃダメだ、我慢強くなりたい!

でもどうしても続かない…

そんな時にきた仕事がスーパーのレジ打ちだった

しかし数週間後、また辞めたい衝動が…

それは実家に帰るため荷物を整理している時のこと

小学生の時の日記…そこには、

“私はピアニストになりたい”と書かれてあった

唯一長く続けられたもの、それがピアノだった

彼女は決めた「もう逃げるのはやめよう」

彼女は特訓を始めた

大好きだったピアノを弾くように…いつの間にかレジ打ちの達人となっていた

余裕もでき客との会話も弾んだ

そんな時、事件が起きる

「本日も誠にご来店いただき誠にありがとうございます。お客様に申し上げます。どうぞ空いているレジにお回りください」

「いやよ私は彼女と話をしにここに来てるの」

「私も同じよ。だからこのレジに並ばせて頂戴」

彼女のレジには長い行列ができていた

その後、彼女はレジ係の主任となり新人教育係を務めるようになった

(1826)

タカトシの涙が止まらナイトで紹介

●先生と一人の少年

ある小学校でいいクラスをつくろうと一生懸命な先生がいた

それは私が5年生の担任になった時のことでした

その少年は遅刻して悪びれもせず教室に入り、私が「おはよう」と言っても返ってこない

あきらかにクラスの友達とも馴染めていない様子

私はどうしてもその少年が好きになれず、いつからか毛嫌いをするようになっていった

そして中間記録の連絡欄に悪い所ばかりを記入するようになっていた

あるとき少年の1年生からの記録が目に留まった

“夏休みの宿題の絵日記には家族旅行の思い出が楽しそうに描かれていた。母親の話では家事を率先して手伝うとの事。朗らかで友達が好きで人にも親切。勉強もよくでき、将来が楽しみ”

間違いだ、他の子の記録に違いない…その時の私はそう思った

彼の2年生以降の記録を見て、そのすべてを知るまでは…

“母親が病気で世話をしなければならず時々、遅刻する”

“母親の病気が悪くなり、疲れていて、教室で居眠りをする”

そして…“母親が死亡。希望を失い悲しんでいる。”

“父は生きる意欲を失い、アルコール依存症になり、子供に暴力を振るう”

ダメだと決めつけていた彼は深い悲しみの中を生き抜いていた

「竹山君、先生ね、夕方まで教室で仕事しているから、勉強していかない?」

彼は言葉なしに頷いた

それから彼は毎日 毎日 予習復習を熱心に続けたのです

笑顔を取り戻し、授業での積極性も見え始めた

6年生のなると私は彼の担任ではなくなりました

そんなある日彼から一枚のカードが届きました

“先生へ 先生はぼくのお母さんのようです。そして出会った中で一番すばらしい先生でした”

それから6年 またカードが届いた

“先生へ 明日は高校の卒業式です。僕は5年生で先生に担当してもらってとても幸せでした。おかげで奨学金をもらって医学部に進学することができます”

それから10年後 彼から手紙が届いた

その手紙には医者になったという報告と父親に叩かれた体験があるから感謝と痛みが分かる医者になれる、と書かれていました

“僕はよく5年生の時の先生を思い出します。あのままダメになってしまう僕を救ってくださった先生を神様のように感じます。大人になり医者になった僕にとって最高の先生は5年生の時に担任してくださった先生です”

その1年後、彼から届いたのは…結婚式の招待状でした

その招待状には”母親の席に座ってください”と書かれていた

ありがとう…私は今でも教師を続けています

(5005)

スポンサード リンク