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奇跡体験!アンビリバボーで紹介

フィリピン マニラではカラオケが人気

実演販売のため街中の電気店にカラオケ機が置かれており、

買い物客は自由に歌を歌うことが出来る

 

ゼンディー・ローズはフィリピンの地方都市で生まれた

幼いころに両親が離婚、母:ジンキーは娘を育てるため、

クラブシンガーとして生計を立てていた

ステージで歌う母はゼンディの憧れだった

だがクラブ専属の歌手ではなかったため、安定した収入はなく、

次の仕事が数か月先という事も…

電気や水道が止められるほど生活は苦しかった

「私 ママと歌って過ごせれば十分。今はどん底にいてもこれから這い上がっていけばいい。人生は階段じゃない?」とゼンディーは母を勇気づけた

11歳になったゼンディーは苦労している母を助けようと、歌のコンテストに出場

入賞するたび、その賞金を母に渡した

高校を卒業後、奨学金で大学に進学

クラブシンガーだった母の背中を追うように歌手のアルバイトに没頭した

卒業を間近に控えた2011年10月、

銀行から内定をもらったゼンディーは、嬉しいはずのニュースに浮かない

母はゼンディーの心を見透かしたように、

「自分に嘘をついちゃだめよ。本当は歌手になりたいんじゃないの?後悔しないように自分の行きたい道を選びなさい」

歌手として生きていくことを決めたゼンディー

 

ワンダイレクションやレオナ・ルイスなどを輩出した

イギリスのオーディション番組「Xファクター」に参加することに

この頃、母とゼンディーはアパートを追い出され、

知り合いの好意で地元の消防署内の一角で間借りさせてもらっていた

地方予選を順調に通過したゼンディー

2012年6月5日、マニラで2次予選

結果は落選、本選に進むことはできなかった

問題は歌ではなかった

フィリピンでは人気の歌手は、みな身長が高く、容姿端麗

外見が最も重視されたため身長159㎝のゼンディーには、

スター性がないと判断された

 

2012年7月28日、親子は久しぶりにマニラ市内のショッピングモールに来ていた

オーディションに落ち、元気のないゼンディー、

気分転換のため母が買い物に連れ出してくれた

ゼンディーは母に赤いリュックを買ってもらい、すぐに背負った

立ち寄った雑貨店、盗難防止のためバッグを持ち込んでの入店はできなかった

ゼンディーは店の外で待つことに

すると隣の電気店が実演販売の為に置いていたカラオケ機を発見

ゼンディーはマイクを握った

選んだのはアメリカの人気歌手の歌だったが、

キーが高く、これまで一度も人前で歌ったことがない曲だった

 

 

歌い終えると、歩みを止めた客たちから拍手喝采

母を待つ間の時間つぶしに歌ったカラオケが彼女の運命を変える

 

翌日、友人から連絡「あなたが動画サイトにアップされてるの」

ショッピングモールで歌う自分の姿が動画サイトにアップされていた

すでに300万回以上も再生されていた

さらに“素晴らしい歌声だ(マレーシア)”“鳥肌が立ったわ(アメリカ)”

“なんて美しい歌声なんだ(イタリア)”“彼女が誰だか教えて(アフガニスタン)”

世界中から数千件のコメントが寄せられていた

たまたま その場に居合わせた客が、

ゼンディーを録画して動画サイトにアップしていた

再生回数は日を追うごとに増え、そして…

アメリカの人気トーク番組「エレンの部屋」からの出演オファーが

この番組でゼンディは全米の視聴者にむけて歌を披露、喝采を浴びた

フィリピンに帰国したゼンディーを待っていたのは、

世界トップシェアを誇るユニバーサルミュージックのプロデューサー

何度もオーディションに落ちた少女が歌手になる夢を叶えた

2013年、ゼンディーのファーストアルバム ZENDEE「I BELIEVE」が発売

フィリピン国内のヒットチャートで2位にランクイン

そしてシンガポール、香港、オーストラリアなど世界各国でライブの依頼が殺到

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世界番付で紹介

●250人の警察官が終結したネイサン君のクリスマスパーティ

アメリカ ヴァージニア州に住むネイサン・ノーマン君

彼の憧れは警察官

そんなネイサンは悪性脳腫瘍におかされていた

その腫瘍は脊髄まで転移

 

2009年9月、病状はさらに悪くなった

もう長くは持たないかもしれない…

 

そこで彼は両親に「僕の為にクリスマスを早めてくれない?」とお願い

「おまわりさんもパーティに来てほしいな」

 

すると彼の願いが地元警察の耳に届いた

警察官たちが集まり、ネイサン君の自宅にお祝いに向かった

地元警察のみならず、マサチューセッツ州、ニューハンプシャー州、

バージニア州の3つの州の警察署からも駆けつけた

合計87代ものパトカーがネイサン君のもとへ向かった

何とその数250人にも及んだ

 

警察官はネイサン君にとっておきのプレゼントを考えてくれた

「今日は君も我々警察の一員だ!さあみんなに号令をかけてくれ!」

「整列!敬礼!」兄たちに支えられ、

憧れの警察官から最高のプレゼントを受け取った

警察官は病気と闘うネイサン君に勇気を与えた

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本当にスゴい実話で紹介

●ホームレスからハーバードに入った少女

1980年、ニューヨークで女の子が生まれた

エリザベス・マーレ―、通称:リズ

10歳の頃、家の中では母と姉のケンカが、いつも繰り広げられていた

リズの両親は無職の上に薬物依存、月3万円の生活保護が唯一の生活収入源

そのわずかな金を両親に見つからないように隠すのがリズと姉の日課だった

食料を買う金すらなかった…

しかし涙を浮かべ懇願する母に拒否することが出来なかった

娘から奪った金を持って母と父は夜の街に消えていった

リズ達の食事はもったら水をかけたコーンフレーク

両親は料理も掃除もしてくれなかった

家の臭いが染みつき、服も1か月以上着替えていない…

学校でも居場所は無かった

 

そして薬物依存が激しくなった母は、家族と離れて治療することに

さらに市の職員がリズを保護するためにやって来た

父親に2人の子供を育てる事は出来ないと市が判断

父は姉を育てる事を選んだ

リズが連れて来られたのは児童福祉施設

3か月後、薬物治療を終えた母がリズを引き取ると名乗り上げた

薬物が抜け穏やかになった母

リズは中学にも通い始め、友達も出来た

しかし幸せは長くは続かなかった

母がエイズを発症した…病気は日に日に母の寿命を奪っていった

それから間もなくして母は亡くなった…リズが15歳の時だった

母の死と共に収入も途絶え、ホームレス生活に身を落とした

物乞いをし、24時間動いている地下鉄で雨露をしのいだ

そんな生活が半年も続いた

 

生きる気力を失いかけていた頃、学校に行きなさい という母との約束を思い出す

思い立ったリズは「私に可能性をください」と

地元の高校の先生に掛け合い入学を認めてもらう

こうしてホームレス生活を続けながらの高校生活が始まった

生活費に加えて学費も稼がなくてはいけなく寝る暇もなく働いた

1年後、中学も満足に通っていなかった17歳のリズは、学年トップの優等生に

通常4年通う高校をたった2年で卒業の資格を手に入れた

その結果、成績優秀者だけの研修旅行でボストンへ

それは世界有数の名門ハーバード大学

校舎も学生たちも何もかもが眩しかった

ハーバード大学へ進学する事を夢見るように

学力的には十分、問題は学費…

ハーバード大学に通うためには4年間の学費などで1400万円

 

そしてニューヨークタイムズの奨学金制度の存在を知る

倍率500倍の狭き門、さらに育った環境など書類に書く必要があった

本当の事を書いたら面接に通るか分からない

しかし、これしかリズがハーバードへ進学する道は無かった

「私はサウスブロンクスで生まれたホームレスです…今も地下鉄で寝泊まりしています。両親は薬物依存で母はエイズで亡くなりました」

面接では何一つ嘘も隠し事もしなかった

「母と約束しました、自分の可能性を信じるって。だから私はハーバードに行きたいんです」

2000年9月、リズは奨学金を得てハーバード大学に進学した

 

ハーバード大学を優秀な成績で卒業

リズは卒業後、未来ある若者たちの為に心理カウンセリングの会社を設立

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タカトシの涙が止まらナイトで紹介された妻の遺影と旅行する男性の話

 

キャビンアテンダントして15年…私には忘れられない出来事があります

それは成田発、カナダのバンクーバーに向かう機内での事

客室乗務員として乗務していた私は、

何とも言えない寂しそうな顔をしたお客様のことが気になりました

体調でも悪いのか、確認のため私は座席に向かいました

 

その男性の座席の隣には、女性の遺影が…

 

実は家内なんですよ…

結婚30年の記念に初めて女房を

海外旅行に連れて行ってあげる約束をしてたんですが…

旅行の1か月前に…突然 脳内出血で亡くなってしまって…

 

旅行を本当に楽しみにしていた、お母さんを旅行に連れて行ってあげて、

と娘に諭され、男性は妻の遺影を持ち込みこの飛行機に乗り込んだ

さらに、席の隣にお母さん以外の人が座ったら、お母さんやきもち焼くと思う

横の席 買ってでもいいからお母さんの席を作ってあげて

 

出発の時にお前が待ち望んでいた海外旅行に連れて行ってやるぞ

と声をかけたんですが…返事が無いのがこんなに寂しいとは思わなかったです

 

あの寂しそうな顔は返事がないことの寂しさを痛感した瞬間の顔だったのです

私はこの人のために何ができるだろう、と考えました

「奥様がここに居られましたら何をお飲みになりましたか?」

「赤ワインが好きな女房でした」

「承知いたしました」と、奥様の分も赤ワインをご用意しました

この夫婦のために一体 何が出来るのか?

話を聞いた他の客室乗務員は、夫婦が少しでも旅を楽しんでもらいたいと、

飛行機の中にある花を全て集めて奥様の遺影の前に贈ったのです

 

「本当に良い旅行になりました。女房も喜んでいると思います」

「いってらっしゃいませ」

あの後姿を私は一生忘れる事はありません

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行列のできる法律相談所で紹介

●親子で全国制覇を成し遂げた富山第一高校サッカー部:大塚一朗・翔 親子

富山第一高校サッカー部:大塚一朗・翔 親子

2014年1月、全国高校サッカー選手権で優勝を飾った監督:大塚一朗

そしてキャプテンであり息子の大塚翔

今から31年前、父:一朗も富山第一高校でキャプテンとして出場

名門 古川電工の選手として活躍

息子:翔は15歳の時にU-16日本代表に選出

家では監督と選手ではなくサッカー好きの親子

そんな仲の良い親子にサッカーを辞めようと思うほどの大きな試練があった

 

2年前、富山第一は県大会決勝に進出

勝てば全国大会出場が決まる大事な試合、翔は1年生ながら途中出場

しかし試合終了間際の大チャンスに失敗…全国大会出場は夢と散った

すると当時、父がコーチだった事で翔は世間から容赦ないバッシングを浴びた

サッカーを辞めようと思うまで追い詰められた翔

そんな息子に父は「サッカーで受けた悔しさはサッカーで返すしかない」

この言葉で今まで以上に練習に打ち込んだ翔は、

3年生になり部員全員の意志でキャプテンに選ばれた

2014年1月13日、全国高校サッカー選手権 決勝

相手は石川県代表:星稜高校

父がつけていたキャプテンマークを31年後に受け継いだ息子

1点ビハインドで試合時間は残り1分…PKを獲得

決めれば同点、外せば負けが決まる場面

PKを蹴るのはキャプテンの翔、膝をついて祈る父

仲間と父の思いを乗せた同点ゴールだった

勢いに乗る富山第一は延長戦でゴール、初優勝を決めた

「チームとして同点になってほしい。PK外したらまた悪口を書かれる。少し父親としての思いが膝をついて祈るような気持ちになってしまった」と父が語った

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