●タリバンに撃たれた少女:マララ

パキスタンの一部では、女性が教育を受ける事に

反対するイスラム過激派のタリバンの影響が強い

 

学校を標的にした爆破テロが頻繁に起きていた

 

マララはブログに現状を綴った

“タリバンが女子生徒に学校登校禁止令を出したから学校に行くのが怖いわ”

 

するとブログは徐々に有名になり、

マララの元に取材やスピーチの依頼まで来るように

 

テロの標的とされる危険性があったにも関わらず、

マララは意見を堂々と主張し続けた

 

しかし2012年10月9日、タリバンのテロリストに襲撃され、

マララは頭に銃弾を撃ち込まれた

弾丸は左眉の下から首を通って背中に留まっている

緊急手術が行われた

頭蓋骨を一部除去し、代わりにチタン製の板を埋め込む大手術

1週間後、マララの意識は戻り、一命を取り留めた

しかし顔面神経が損傷し顔にマヒが残った

 

このニュースは世界中を駆け巡り、多くの人から激励の声がマララに送られた

リハビリを続けること半年、マララは後遺症を乗り越え、笑顔を取り戻した

 

2013年7月、国連の舞台に立ち、世界に訴えた

「1人の子供、1人の教師、1冊の本、そして1本のペン、それで世界を変えられます」

全ての子ども、女性が教育を受ける権利を訴えたスピーチに

会場からはスタンディングオベーション

 

タリバンが怖いか?との質問に彼女は

「怖くはありません。彼らに出来るのは人を殺す事だけです。私を殺したとしても体だけしか殺せない。私の活動は止められない。銃は人を殺すだけですがペンは命を与えます」と話した

 

 

2014年、史上最年少でノーベル平和賞を受賞

「この賞は、ただ部屋にしまっておくためのメダルではない。終わりではなく、始まりに過ぎない」と表明

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日本が世界に誇る50人で紹介

 

●羽生結弦を救った金メダリスト

 

2種類の4回転ジャンプを有するフィギュアスケート選手:羽生結弦

子供の頃、彼はスケートを辞めるかもしれない状況に追い込まれていた

2004年、全日本選手権 9歳から11歳の部門で優勝

仙台の天才少年の将来に期待が集まった

 

そのわずか1ヶ月後、練習していた勝山リンクが財政難で閉鎖されてしまった

その報せを聞いて号泣、スケートを辞めなくちゃいけないのか?と悲嘆した

 

しかし奇跡が起きる…2006年、トリノオリンピック

イナバウアーで世界を魅了した荒川静香

オリンピックのフィギュアスケートで日本人初の金メダルを輝いた

直後の会見、荒川は世界のメディアを前に

「私が基礎を作り上げてきたリンクは閉鎖されてしまいまして、小さい子たちが練習場所を探すのに非常に困っている状況です…」

荒川は仙台育ち、羽生と同じリンクで練習していた

「リンクの状況が今後良くなっていくことをいつも願っています」

 

金メダリストの訴えは、一気に事態を動かした

宮城県と仙台市が合わせて1億円を支援

金メダリストを育てたリンクは2007年に再開された

 

その1ヶ月後、再開されたリンクで金メダリスト:荒川がスケート教室を開いた

そこには当時12歳の羽生の姿が…

羽生は荒川の前で得意のイナバウアーを披露してみせた

 

男子のトップ選手でイナバウアーをやるのは羽生以外にはいない

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それは宮崎県新富町の普通のお宅:黒木低

春には、1200坪の庭にシバザクラが咲き誇り、

観光客が1日3000人くらい訪れる

そのシバザクラは奥さんに贈ったプレゼント

 

●観光客が訪れる妻に贈ったシバザクラ

昭和31年、お見合いで2人は結婚した

3人の子宝に恵まれ、酪農業を営んでいた

苦しい生活ながらもおしゃべり好きな靖子さんのおかげで笑顔の絶えない毎日

そんな2人の夢は、いつの日か日本全国の名所を見て回る事

しかし、靖子さんが52歳の時、糖尿病の合併症により失明してしまった

失明したことによりすっかりふさぎ込んでしまった靖子さん

家に閉じこもりがちになり口数も減っていった…

そんな靖子さんの姿を見て敏幸さんはある行動に出る

敏幸さんの姉の自宅の庭に綺麗に咲くシバザクラを見かけた

家にこもりがちになった靖子さんの話し相手を集めるために、

シバザクラを植える事にした

たった一人ひと株ひと株 苗を植え、少しずつシバザクラを増やしていった

そして20年後のシバザクラが…

 

 

春になると美しいピンクの花が庭一面に咲きほこる

靖子さんによると「満開になったら甘酸っぱい匂いがします」

美しい庭を一目見ようと観光客で賑わうように

そして靖子さんはやって来るお客さんと話に花を咲かしている

敏幸さんが植えたシバザクラは、再び靖子さんの笑顔を取り戻した

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内村とザワつく夜で紹介

●子どもがサンタ

シングルマザーとして子育てを頑張る2児の母

昼は工場の事務、夜はコンビニで働いている

それでも生活は苦しく娘たちに好きな物を買ってあげられるのは誕生日とクリスマスだけ

そして12月23日、「2人とも今年一年良い子にしてたから、またサンタさんからカードが届きました」

クリスマスに欲しいプレゼントを書くカードを姉妹に渡した

「わたしプリキュアの変身セットにする」

「ユキナはどうするの?クマさんのぬいぐるみが欲しいってずっと言ってたでしょ?書いちゃいなさいよ」

「う~ん、ちょっと考える」

その日の夜…次女:ユキナのカードを確認すると

“サンタさんへ お母さんがいつも肩が痛いって言ってるから、マッサージ機が欲しいです ユキナより”

12月24日の夜、姉妹が寝静まった枕元に

長女には希望通りプリキュアの変身セットを、

そして次女には、前から欲しがっていたクマさんのぬいぐるみを買ってあげた

12月25日の朝、長女は大喜びで母に報告

しかし起きているはずのユキナが部屋から出てこない

「ユキナ どうしたの?サンタさんのプレゼント欲しいのと違ったの?」

「サンタさんから貰ったよ。ハイこれ」

ユキナが渡したのは“肩たたき券”

「サンタさんにお願いしたら くれたの。良かったね お母さん いつでも使っていいからね」

「ユキナありがと」

「違うよ サンタさんにお礼 いいなよ」

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解決!ナイナイアンサーで紹介

●母と生き別れたノブコブ吉村

お笑い芸人:平成ノブシコブシ吉村崇

1980年、北海道札幌市で飲食店を営む父と母の間に生まれた

そして6歳の時、吉村が「保育園を休む」と言ったのをきっかけに両親が喧嘩

「崇、お父さんとお母さんちょっと大事な話があるからちょっと表に出ていなさい」

数十分後、家に戻ると1人で泣いている父の姿が…

すでに母親はいなかったので、

離婚のきっかけは自分にあると思っていた

数日後、父の実家へ引っ越した吉村は祖父母と共に暮らすことに

後日、吉村が出て行った後、両親は離婚の話をしていた事を、

母は自分を残して離婚を選択した事を祖母から聞いた

友人には高校入学まで母がいない事を言えなかった…

あれから6年後マラソンの練習をすると行って向かった先は、

離婚した後、生計を立てるため母が営んでいた喫茶店「窓硝子」

6年ぶりの再会だった

マラソンの練習と偽り、毎日のように母に会いに来た

そんなある日、母の住む部屋に招き入れてくれた

そこには幼い吉村の写真が飾られていた

母は今でも自分の事を愛してくれている…そう確信した吉村は、

「お願いがあるんだ。もう一回うちに戻って来てよ」

6年間抱え続けた思いを吐き出した

「崇の事は愛しているけどお父さんの事は愛してないの…ごめんね…」

と言われたのがきっかけで、吉村は母の喫茶店へは行かなくなった

そして19歳の時、札幌へ帰った吉村は母親の喫茶店へ訪れた

7年ぶりの母との再会、12歳の時と同じ席…そして、

「お祖母ちゃんが死んだよ。それだけ言いに来た」

吉村が母を訪ねたのは祖母の死を伝えるためだった

母が知らない自分を育ててくれたのは祖母、

その死を母にどうしても伝えたかった

「ちょっと待って。これ持って行きなさい」と2万円を手渡された

母と会ったのは17年前のこの日が最後…

吉村は今も母がくれた2万円は大切に持っている

 

ノブコブ吉村が今も悔やむ祖母への最後の言葉

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