深イイ話で紹介

2013年2月16日に結婚式を挙げた孝康さん・仁美さん夫妻

●ウェディングプランナー600人が選ぶ感動の手紙

新郎の孝康さんは1985年に松原家の二男として誕生

郵便局員の父:勝さんと母:みどりさんの愛情たっぷりに育った

ところが、孝康さんが4歳の時に突然の不幸が…

父:勝さんは休日1人で釣りに出かけ海に転落…

36歳というあまりにも早い死だった

31歳の母:みどりさんは女手一つで子供を育てる事になった

子供たちを立派に育てないと主人に申し訳ない…

決して裕福ではないが、してやれる全ての事を必死にやって来た

「布団の中で1人で泣く事はありました…」

悲しくても子供の前では決して弱みを見せなかった

頑張ってきた23年…2013年2月、二男:孝康さんが結婚

お色直しの後、孝康さんと一緒に母が登場

サプライズで披露された母の手紙に

会場は涙と暖かい拍手で包まれた

 

シワくちゃになった一通の手紙…

それは23年前、父親が亡くなった時、4歳の孝康さんが母に宛てた手紙

“おかあさんありがとう いつもありがとう とうさん しんだけど かあさんがいるから ぼくは げんきだよ”

息子が結婚するまで23年間、この手紙を片時も離さずお守りとして大切に持っていた

「これが私の支えとなって今まで頑張ってこれました」

 

父親になる孝康さんの夢は、

母が作ってくれたような暖かい家庭を築くこと

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本当にスゴい実話で紹介

●ホームレスからハーバードに入った少女

1980年、ニューヨークで女の子が生まれた

エリザベス・マーレ―、通称:リズ

10歳の頃、家の中では母と姉のケンカが、いつも繰り広げられていた

リズの両親は無職の上に薬物依存、月3万円の生活保護が唯一の生活収入源

そのわずかな金を両親に見つからないように隠すのがリズと姉の日課だった

食料を買う金すらなかった…

しかし涙を浮かべ懇願する母に拒否することが出来なかった

娘から奪った金を持って母と父は夜の街に消えていった

リズ達の食事はもったら水をかけたコーンフレーク

両親は料理も掃除もしてくれなかった

家の臭いが染みつき、服も1か月以上着替えていない…

学校でも居場所は無かった

 

そして薬物依存が激しくなった母は、家族と離れて治療することに

さらに市の職員がリズを保護するためにやって来た

父親に2人の子供を育てる事は出来ないと市が判断

父は姉を育てる事を選んだ

リズが連れて来られたのは児童福祉施設

3か月後、薬物治療を終えた母がリズを引き取ると名乗り上げた

薬物が抜け穏やかになった母

リズは中学にも通い始め、友達も出来た

しかし幸せは長くは続かなかった

母がエイズを発症した…病気は日に日に母の寿命を奪っていった

それから間もなくして母は亡くなった…リズが15歳の時だった

母の死と共に収入も途絶え、ホームレス生活に身を落とした

物乞いをし、24時間動いている地下鉄で雨露をしのいだ

そんな生活が半年も続いた

 

生きる気力を失いかけていた頃、学校に行きなさい という母との約束を思い出す

思い立ったリズは「私に可能性をください」と

地元の高校の先生に掛け合い入学を認めてもらう

こうしてホームレス生活を続けながらの高校生活が始まった

生活費に加えて学費も稼がなくてはいけなく寝る暇もなく働いた

1年後、中学も満足に通っていなかった17歳のリズは、学年トップの優等生に

通常4年通う高校をたった2年で卒業の資格を手に入れた

その結果、成績優秀者だけの研修旅行でボストンへ

それは世界有数の名門ハーバード大学

校舎も学生たちも何もかもが眩しかった

ハーバード大学へ進学する事を夢見るように

学力的には十分、問題は学費…

ハーバード大学に通うためには4年間の学費などで1400万円

 

そしてニューヨークタイムズの奨学金制度の存在を知る

倍率500倍の狭き門、さらに育った環境など書類に書く必要があった

本当の事を書いたら面接に通るか分からない

しかし、これしかリズがハーバードへ進学する道は無かった

「私はサウスブロンクスで生まれたホームレスです…今も地下鉄で寝泊まりしています。両親は薬物依存で母はエイズで亡くなりました」

面接では何一つ嘘も隠し事もしなかった

「母と約束しました、自分の可能性を信じるって。だから私はハーバードに行きたいんです」

2000年9月、リズは奨学金を得てハーバード大学に進学した

 

ハーバード大学を優秀な成績で卒業

リズは卒業後、未来ある若者たちの為に心理カウンセリングの会社を設立

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●国王の座を捨て日本人女性と結婚した元オマーン国王

現国王の叔父にあたる第6代 タイムール国王が国を治めていた1935年

タイムール国王は身分を隠し、世界旅行をする中で日本に立ち寄った

そして神戸で運命の出会いを果たす

ダンスホールで踊る日本人女性と恋に落ちた

その女性は大山清子(当時19歳)

愛し合った2人は結婚を誓い合う

しかし年齢が倍以上離れている上に、結婚相手として中東の人は珍しく、

清子の両親は猛反対した

そして清子の両親は結婚にある無理難題な条件をつけた

“娘と結婚したいならオマーンではなく日本に住んでください”

タイムール国王は国王の座を弟:サイードに譲り、再び日本へ帰ってくる

出会ってから1年後の1936年、

不可能とも思われた大きな壁を乗り越え、ついに結婚

さらに驚くべきことに、妻:清子にさえ国王であることを伏せていたという

元国王だけに清子にドレスや宝石を買い与え、

神戸の丘に建てた豪邸で優雅な生活を送った

夫婦の間に1人娘が誕生、節子と名付けた

彼女は後のブサイナ妃となる女の子

娘の誕生に国王の座を引き継いだ弟のサイードが来日

この一件で夫がオマーンの国王だった事に気付く

しかし幸せな日々は、長くは続かなかった…

清子は23歳という若さで腎盂炎を患い他界した

その後、夫は兵庫県東加古川市に清子のお墓を建てるとオマーンに帰国

娘:節子の将来を考え、王族の相続権を得られるよう手配した

しかし1941年、第二次世界大戦が開戦し、日本国内は激しい戦禍に包まれた

オマーンは当時、日本の敵国であるイギリスと関係が深かったため、

タイムールもブサイナ妃も、その後、日本に戻る事は出来なかった

 

娘:ブサイナ妃は王宮で生活

母の死から39年後、ブサイナ妃は日本を訪れ、母の墓参りをした

人目をはばからず墓の前で泣き崩れたという

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2013年、歌手:島倉千代子が惜しまれつつこの世を去った

昭和歌謡界の大スターだった島倉千代子

しかしそんな彼女の人生は不幸の連続だった

●堕胎

昭和30年、「♪この世の花」でデビューし200万枚の大ヒット

NHK紅白歌合戦には昭和32年から30年連続出場

昭和38年、人気絶頂だった島倉は結婚

相手は当時活躍していた阪神タイガースの藤本勝巳

結婚して程なく藤本は引退し、キャバレークラブを開店

店の経営は全くの素人…赤字が膨らんでいった

そんな苦しい生活の中、島倉は妊娠

アイドル的な存在だった島倉が出産することは、引退を意味した

歌えなければ生活も支えられない…苦悩の末、堕胎する道を選んだ

その後、次第に藤本とも上手くいかなくなり昭和43年に離婚

夫が作った6000万円もの借金を背負った

●16億円の借金

ある日、島倉は事故に遭い失明寸前の大ケガをした

そのケガから救ってくれた眼科医に、いつしか恋心を抱くように

間もなく2人は交際を始めるが、

交際相手からビル建設事業のための資金援助を持ちかけられる

島倉は相手を信じ、多額の資金を援助

さらに島倉は相手に実印を渡してしまう

数か月後、男性は忽然と姿を消し、一切の連絡が取れなくなった

そして島倉の元に残ったのは男性が島倉の名義で作った16億円の借金

現在の価値に換算すると58億円に相当

●死の直前に遺した島倉千代子の最後の歌声

2010年、肝臓ガンを発症

実は長い間、C型肝炎を抱えており、本来は手術が必要だったが、

メスを入れると歌に影響を及ぼす可能性があり、手術は行わなかった

手術をしない選択をした事で病は進行、肝臓ガンを発症した

3年後、病状は末期まで進行

残された時間で何ができるのか?ある決断をする

(死ぬ前に新曲を歌いたい)

島倉は尊敬する南こうせつに新曲を依頼

2013年6月、南こうせつが病床を訪れ、

未完成ながらも新曲のワンフレーズを聞かせた

「この歌は絶対にお蔵入りさせたくないからよろしくお願いします」

レコーディングは半年後の11月15日に決まった

(この歌を歌うまでは死ねない)

ガンと闘いながらも病床で新曲の練習を欠かせなかった

(絶対にレコーディングの日まで生き抜く)

しかし、レコーディングの2週間前、南こうせつの元に島倉から電話が…

「レコーディングを早めてください。私の声が15日まで持たない…」

2013年11月5日、新曲のレコーディングが島倉の自宅で行われた

それは病気を微塵も感じさせない魂のこもった歌声だった

(最後に最高の歌を遺したい)

こうして最後の新曲「♪からたちの小径」は完成した

2013年11月8日、島倉千代子はその生涯を全うした

葬儀で島倉の最後の肉声が初めて公にされた

「私の部屋の中にスタジオが出来て、私は出来る限りの声で歌いました。自分の人生の最後に歌を入れられるってこんな幸せはありません。人生の最後に素晴らしい時間をありがとうございました」

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タカトシの涙が止まらナイトで紹介された妻の遺影と旅行する男性の話

 

キャビンアテンダントして15年…私には忘れられない出来事があります

それは成田発、カナダのバンクーバーに向かう機内での事

客室乗務員として乗務していた私は、

何とも言えない寂しそうな顔をしたお客様のことが気になりました

体調でも悪いのか、確認のため私は座席に向かいました

 

その男性の座席の隣には、女性の遺影が…

 

実は家内なんですよ…

結婚30年の記念に初めて女房を

海外旅行に連れて行ってあげる約束をしてたんですが…

旅行の1か月前に…突然 脳内出血で亡くなってしまって…

 

旅行を本当に楽しみにしていた、お母さんを旅行に連れて行ってあげて、

と娘に諭され、男性は妻の遺影を持ち込みこの飛行機に乗り込んだ

さらに、席の隣にお母さん以外の人が座ったら、お母さんやきもち焼くと思う

横の席 買ってでもいいからお母さんの席を作ってあげて

 

出発の時にお前が待ち望んでいた海外旅行に連れて行ってやるぞ

と声をかけたんですが…返事が無いのがこんなに寂しいとは思わなかったです

 

あの寂しそうな顔は返事がないことの寂しさを痛感した瞬間の顔だったのです

私はこの人のために何ができるだろう、と考えました

「奥様がここに居られましたら何をお飲みになりましたか?」

「赤ワインが好きな女房でした」

「承知いたしました」と、奥様の分も赤ワインをご用意しました

この夫婦のために一体 何が出来るのか?

話を聞いた他の客室乗務員は、夫婦が少しでも旅を楽しんでもらいたいと、

飛行機の中にある花を全て集めて奥様の遺影の前に贈ったのです

 

「本当に良い旅行になりました。女房も喜んでいると思います」

「いってらっしゃいませ」

あの後姿を私は一生忘れる事はありません

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