小児がんと闘い死を覚悟した少年の最後のメッセージ

1992年、神奈川県伊勢原市

山崎政明と敏子の間に直也くんが生まれた

5歳になった腕白少年:直也くんが突然 病魔に襲われてしまう

体に異変が現れたのは、ある朝のこと

「赤いおしっこが出た」

しばらくしてから一緒にトイレに行ってみると

赤い血が混じっているというより血そのものが出ているようだった

「どっか痛いとこない?」「息をすると胸が痛くなる」

あわてて病院へ行き、精密検査を受けた

「胸に腫瘍らしき影が見えます」

医師の説明では良性の可能性が高い

「腫瘍は大きいようなので取ってしまった方がいいでしょう」

 

手術後の病理検査で、恐ろしいことが判明する

「肺にあった影は悪性の腫瘍:ユーイング肉腫でした」

肋骨に腫瘍がへばりついき肺を圧迫していた

「今回の手術で肋骨を3本 切除しました。これからは放射線と抗がん剤で再発を防いでいきます」

幸い腫瘍は全て取り除き、転移は見られないが、再発の可能性も十分にある

集中治療室から大部屋に移動、元気にはしゃぎまわれるほどに回復した

 

再発を防ぐため、直也くんは、強い抗がん剤に耐えた

病院から出られず抗がん剤の副作用に苦しむ日々

治療を始めて一週間で髪の毛は無くなった

治療の結果、定期検査を受ける条件付きで、退院が認められた

そしてみんなより半年遅れで学校に通えるようになった

しかし定期検査で…右胸に1.5㎝の腫瘍が発見された

すぐに手術で腫瘍を摘出した

そしてまた辛い抗がん剤治療が始まった

愛する我が子が苦しんでいるとつい…

「もうやめようか?何もしないでお家に帰ろう」そう言ってしまう

しかし「ここにいる。頑張る」直也は弱音を吐かなかった

 

その後も直也は再発と手術を繰り返した

どんなに辛い治療でも直也は拒否しない

体重は常に10㎏台、慢性的な貧血で顔は浅黒かった

「ナオは偉いね。何でそんなに頑張れるの」

「僕はね。体はこんなだけど心は強いんだ」

「お母さん 代われるものなら代わってあげたい」

「ダメだよ。ナオじゃなきゃ耐えられない。お母さんじゃ耐えられないよ」

 

直也には夢があった

闘病のため無理だった海で思いっ切り泳ぐこと

ボランティア団体:メイク・ア・ウィッシュに応募すると

ハワイ旅行がプレゼントされた

直也くんは、思いっきり遊んだ

ハワイから帰国後、まもなく腰に激痛が走った

「骨髄に転移していました」

血液を造る骨髄に転移したとなるとがん細胞が体中に運ばれる

手術で切除する事もできず今まで使っていた抗がん剤も使えない

手の施しようがなかった…

 

直也に何と説明すればいいか?何日も答えが出ぬまま、

2人は本当のことを話すことにした

「ナオちゃんは今 胸が痛いとか腰が痛いとか言ってるでしょ。骨髄にも病気が出来ちゃって」

「うそばっかり、ちゃんと先生に聞いたの?」

闘病生活が長い直也には隠し通せない

「お母さん何 言ってるの?ナオは負けるわけないじゃん。病気に勝つに決まってるじゃん」

直也は前向きに辛い治療を望んだ

日々痛みは激しくなり直也は早く手術をしてほしいとせがんだ

しかし手術は出来ず、モルヒネを投与して痛みを抑えるだけ

「すごく頑張ってきたから別に手術しなくてもいいよって先生言っていたよ」

「お母さん 手術しないってことは死んじゃうってことでしょ?やってみなくちゃ分からないじゃん。最初から諦めちゃダメっていつも言ってるじゃん」

「そうだね。ごめんね。お母さんもうあきらめない」

 

器官は炎症を起こし気道を圧迫、呼吸も難しくなった

ナオは死が近いことを悟ったのか

「お母さん、ナオが死んでも暗くなっちゃダメだよ。明るく元気に生きなきゃダメだよ。頑張れば幸せになれるんだ。苦しいことがあったけど最後は必ず大丈夫」

直也は余命宣告を受けたから2週間も生き続けた

そして2001年7月3日、壮絶に病と闘った直也くん 永眠

 

病魔と闘い抜いた4年間、少年の小さな体のどこにそんな力があったのか?

それは看護師から聞かされた

「直也くんはお母さんのために頑張ったんです」

治療の途中でこんなことを言っていた

「あのねナオは 今 死ねないんだよ。お母さんの心の準備が出来てないから。今はまだ死ねないんだよ」

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