死の直前に遺した島倉千代子の最後の歌声

2013年、歌手:島倉千代子が惜しまれつつこの世を去った

昭和歌謡界の大スターだった島倉千代子

しかしそんな彼女の人生は不幸の連続だった

●堕胎

昭和30年、「♪この世の花」でデビューし200万枚の大ヒット

NHK紅白歌合戦には昭和32年から30年連続出場

昭和38年、人気絶頂だった島倉は結婚

相手は当時活躍していた阪神タイガースの藤本勝巳

結婚して程なく藤本は引退し、キャバレークラブを開店

店の経営は全くの素人…赤字が膨らんでいった

そんな苦しい生活の中、島倉は妊娠

アイドル的な存在だった島倉が出産することは、引退を意味した

歌えなければ生活も支えられない…苦悩の末、堕胎する道を選んだ

その後、次第に藤本とも上手くいかなくなり昭和43年に離婚

夫が作った6000万円もの借金を背負った

●16億円の借金

ある日、島倉は事故に遭い失明寸前の大ケガをした

そのケガから救ってくれた眼科医に、いつしか恋心を抱くように

間もなく2人は交際を始めるが、

交際相手からビル建設事業のための資金援助を持ちかけられる

島倉は相手を信じ、多額の資金を援助

さらに島倉は相手に実印を渡してしまう

数か月後、男性は忽然と姿を消し、一切の連絡が取れなくなった

そして島倉の元に残ったのは男性が島倉の名義で作った16億円の借金

現在の価値に換算すると58億円に相当

●死の直前に遺した島倉千代子の最後の歌声

2010年、肝臓ガンを発症

実は長い間、C型肝炎を抱えており、本来は手術が必要だったが、

メスを入れると歌に影響を及ぼす可能性があり、手術は行わなかった

手術をしない選択をした事で病は進行、肝臓ガンを発症した

3年後、病状は末期まで進行

残された時間で何ができるのか?ある決断をする

(死ぬ前に新曲を歌いたい)

島倉は尊敬する南こうせつに新曲を依頼

2013年6月、南こうせつが病床を訪れ、

未完成ながらも新曲のワンフレーズを聞かせた

「この歌は絶対にお蔵入りさせたくないからよろしくお願いします」

レコーディングは半年後の11月15日に決まった

(この歌を歌うまでは死ねない)

ガンと闘いながらも病床で新曲の練習を欠かせなかった

(絶対にレコーディングの日まで生き抜く)

しかし、レコーディングの2週間前、南こうせつの元に島倉から電話が…

「レコーディングを早めてください。私の声が15日まで持たない…」

2013年11月5日、新曲のレコーディングが島倉の自宅で行われた

それは病気を微塵も感じさせない魂のこもった歌声だった

(最後に最高の歌を遺したい)

こうして最後の新曲「♪からたちの小径」は完成した

2013年11月8日、島倉千代子はその生涯を全うした

葬儀で島倉の最後の肉声が初めて公にされた

「私の部屋の中にスタジオが出来て、私は出来る限りの声で歌いました。自分の人生の最後に歌を入れられるってこんな幸せはありません。人生の最後に素晴らしい時間をありがとうございました」

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