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2009年12月23日、アメリカ コロラド州
その日、父:マイク、母:トレイシー、11歳の長男、
3歳の次男は、クリスマスの準備をしていた
このときトレイシーは、妊娠9か月
12月24日の明け方、トレイシーは、急な陣痛に襲われ、自宅で破水
マイクの運転でかかりつけの病院に向かった
予定日よりも2週間も早い出産、
後は産まれてくるのを待つだけのはずだった
分娩室に入ってから6時間経っても産まれてくる兆候はなかった
今回の陣痛は、トレイシーにとって
過去に味わったことがないほど激しい痛むものだった
 
アメリカでは出産の際、薬を用いた無痛分娩を行うことが多く、
医師は、下半身麻酔を打つことを判断
麻酔を打ったトレイシーは、楽になり安心したのか、眠り始めた
 
12時37分、マイクがトレイシーの異変に気付く
トレイシーの手は氷のように冷たく、
顔は血の気が引いたように真っ青になっていた
トレイシーの心肺機能は、突然 急激に低下
緊急治療が始まり、マイクは室内の外に連れ出された
 
心臓マッサージを続けるが、心肺停止
電気ショックを行っても反応は無い
12時42分、医師は蘇生の見込みは無いと判断
帝王切開で子供を取り出す緊急手術に移行
トレイシーは死亡と判断されていたため、麻酔をされずに腹を裂かれた
12時46分、迅速なオペにより子供が取り出された
トレイシーの死から6分後
取り出された赤ん坊は、ぐったり 呼吸もせず、心臓も動いていなかった
駆け付けた小児科チームの専門医が、懸命に蘇生を試みたが、
赤ん坊が産声を上げることは無かった
 
「できる限りの手は尽くしましたが…申し訳ありません。最後にお父さんの手で抱いて
あげてください」
マイクは赤ん坊を抱きしめて泣き叫んだ
 
赤ん坊の指がピクリと動く
たった今 死産と判断された赤ん坊が、
父に抱かれたことによって心臓が動き、
呼吸をはじめ、大きな声で泣き始めた
 
すると、すでに心肺停止から10分以上経ち、
完全に死んでいたはずのトレイシーまでもが、突然息を吹き返した
そして1時間30分後には、意識を取り戻した
その後、会話ができるまでに回復
トレイシーは、赤ん坊を抱くことができた

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奇跡体験!アンビリバボーで紹介

アメリカ・アイオワ州デモインのFMラジオ局:KSTZでは

毎年クリスマスシーズンになると恒例のサプライズ企画が行われる

リスナーからクリスマスの願いを募集し、

スタッフから選んだ一人の願いを可能な限り叶えるという人気企画

●天国から届けられたサプライズ

2011年、アイオワ州に住むブレンダ・シュミッツは、

夫のデビットと4人の子供と共に幸せに暮らしていた

しかしブレンダは末期の卵巣ガンを発症

さらに余命半年を宣告された

ブレンダは辛い治療にも耐え続けた

「みんな良くしてくれる。何か病院の人達に恩返しがしたいわ」

周りに気を配る事も忘れなかった

そんな彼女が一度だけ取り乱したことがあった

「どうして!どうして私なの!マックスは2歳になったばかりよ。母親無しで生きていけって言うの?そんなのあんまりよ」

家族との別れが訪れる、その恐怖だけは消えなかった

そして懸命な治療の甲斐なく病状は徐々に悪化…

2011年9月、ブレンダ・シュミッツはこの世を去った

 

デビットはお礼がしたいというブレンダの生前の想いを込め、

彼女が好きだった花を病院に贈った

 

ブレンダの死から1年…

家族は彼女がいない生活に少しずつ慣れ始めていた

 

そんなある日、デビットはジェーン・アブラハムという女性と出会う

ジェーンは2人の子供を持つシングルマザーだった

それは友人から強く勧められた縁談

同じ苦労をしている同士、自然と会話が弾んだ

2人は度々会うようになった

しばらくすると家族ぐるみの交際まで発展

 

2013年12月16日、ブレンダの死から2年…ある日のこと

「デビット・シュミッツさんですか?」「はい」

「FMラジオ局:KSTZなんですが、番組にあなた宛ての願いが書かれた手紙が届いているんです」

「私ですか?誰からです?」

「それは事情があって電話ではちょっと…木曜日に翌日放送分の収録があるのですが、スタジオにお越しいただけないでしょうか?」

 

12月19日、

「デビット 来てくれてありがとう。君に特別なクリスマスの願い事があるんだ」

スタッフの女性がある手紙を読み始めた

 

「こんにちは 私の名前はブレンダ・シュミッツです。この手紙が届く時 私はもうすでにガンに負けてしまっている事でしょう。私はこの手紙を友人に託し、もしデビットが新たなパートナーを見つけたらラジオ局に この手紙を送ってほしい と伝えました。デビットは素晴らしい夫であり父であり今後も家族のために最良の決断を下してくれるでしょう。そしていつか子育てを手伝ってくれる思いやりのある女性を見つける事でしょう。彼女はきっと素晴らしい女性のはずで。私たちの4人の息子、あの子たちが母親をなくすなんて今 考えただけで泣けてきます。彼らが大人になるのを見られないのはとても心残りです。私がこの手紙を書いてのはデビットと子どもたちを心から愛しているという事、そしていつも見守っているという事を知って欲しいからです」

 

手紙の日付は、2011年8月3日、ブレンダの死のおよそ2か月前だった

あの時、すでに死を覚悟し、

残された家族のことを考え番組に手紙が届くようにしていた

 

そして手紙にはデビットの新しいパートナーについても書かれていた

「息子たちの母になってくれてありがとう。母親として愛情を注いでくれて本当にありがとう。あなたがだれであろうと、あなたのことを愛しています」

 

手紙の最後にはブレンダの3つの願いが書かれていた

 

“まずは4人の子供たちの新しい母親に思いきりリラックスできる時間を与えて欲しいです。彼女を笑顔にしてあげてください”

 

“家族には魔法にように素敵な旅行に出かけて欲しいです。一生の思い出ができる場所へ”

 

“最後に私のガン治療をしてくれた病院のスタッフにご馳走たくさんのパーティーを贈りたいです”

 

ブレンダの3つの願いは、ラジオ局によって叶えられた

 

このラジオが翌日放送されるとメディアで大きく取り上げられた

 

2014年8月30日、デビットとジェーンは結婚式を挙げた

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