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常識人、優等生の世間的イメージが強い漫画家:はらたいら

一方で私生活はゼロ点

家庭よりも仕事や酒を優先する破天荒な男だった

クイズダービー後、はらたいらは、すぐにうつ状態に

長年の飲酒がたたり体調が悪化

2006年に肝臓がんを患い死去 享年63

事前にスタッフから答えを聞いているのではないか?

という都市伝説まで囁かれた程の正解率を誇る人物

●クイズダービーのでブライクした漫画家:はらたいら

19433年、高知県に生まれた

ちなみに はらたいらは芸名ではなく本名

小学生の頃から授業は聞かず、マンガの落書きばかり描いていた

中学2年生の時、結核を患い入院

暇を紛らわすため漫画を描く事に増々夢中になっていった

高校時代には、地元の新聞に掲載されるほどになっており、

将来の夢は、上京してプロの漫画家になる事だった

高校3年生の頃、校内新聞に描かれた はらたいらの漫画を見て、

感銘を受けた少女が、後に妻となるちず子だった

はらたいらは、高校時代から地元で飲み歩いていた

ツケで飲むこともしばしば、高校にまで飲み屋の請求が頻繁に来ていた

 

高校を卒業した ちず子が就職で上京した時…

ある日、ちず子の職場に1本の電話が

「もしもし、はらです…高校が一緒だった」

プロの漫画家になるため はらたいらが上京した事は知っていた

ちず子は、一度も話をした事が無い相手からの突然の電話に戸惑った

「ごめんね、突然。友達を辿って連絡先を勝手に聞いちゃった」

「いえ」「あのさ会えないかな?」「えっ私とですか?」

はらたいらの突然の誘いを大喜びで受けた

後日、喫茶店ではらたいらと再会した

ちず子には東京でプロの漫画家として働く はらたいらが眩しく見えた

しかし、会計をする はらたいらを見たのは、これが人生最後だった

 

実は当時のはらたいらは、

漫画家としては全く売れておらず極貧生活を送っていた

当時あった血液銀行で血液を売って金を作り食いつないでいた

ほどなく はらたいらは、ちず子を頼って頻繁にお金を借りに来るように

やがてちず子の職場までお金を借りに来るように

すると、あまりにもはらたいらが

職場にお金をせびりに来るので、

ちず子はついに仕事をクビになってしまった

しかしちず子は、はらたいらほどの才能が世に出ないのはおかしい、

何とか彼の力になってあげたい、と惚れ込んでいた

ある日、ヒモ状態のはらたいらが、

「お前は恋愛対象じゃないけど結婚するならお前がいいな。外を連れて歩くなら美人や可愛い子の方がいいかもしれないけど女房にするならしっかり者がいいからな」

1964年、2人は入籍し、三畳一間で慎ましい生活が始まった

狭い部屋は漫画を描くだけで精一杯、2人の寝床は押し入れの中…

そんな狭い家で漫画仲間と昼間から酒盛り

一方のちず子は、仕事を2つ掛け持ち、

夫の邪魔にならないようにと夜に仕事が終わると朝まで外で散歩をし、

はらの酒代を稼ぐため、そのまま仕事へ向かった

 

ちず子の体重は結婚前に比べ、16㎏も減った

そんなちず子の支えで少しずつ漫画の連載を増やしていった

三畳一間のアパートからも引越し、2人の子宝にも恵まれた

はらは典型的な亭主関白になっていた

自分で魚の骨を取る事も出ず、自分でご飯をよそうなどもってのほか

 

はらたいらが33歳の時、クイズダービーへのレギュラー出演が決まった

以前、漫画家チームとしてゲスト出演した際、

その博識ぶりと甘いマスクが、

大橋巨泉に気に入られレギュラー回答者に大抜擢された 出演者の中で最も高い正解率を誇り、27問連続正解の偉業を達成した

 

漫画家で あるはらたいらが

驚異的な正解率を誇ったり理由は、彼の仕事にあった

風刺漫画を描くために本、新聞、雑誌まで異常にリサーチ

様々な智識や雑学を持っていた

さらに放送日の周辺に関するイベントを、あらかじめ調べて問題を予想

 

しかし正解し続ければ正解し続けるほどプレッシャーは増していった

家庭では常にピリピリ状態

クイズダービーにはらが登場してから、

気を遣い3年間 妻から声をかける事はなかった

1992年、クイズダービーが終了

クイズダービーが終わると仕事が次々と舞い込んだ

1ヶ月に20日以上は講演会で地方に出かけ、

その合間で連載漫画を描き続けた

そんな多忙な日々の中でテレビン番組にも出演

クイズは応えればよかったが、トーク番組は喋る能力が必要

タレントではなかった はらは、

トーク番組で喋れない自分に悩み 自信を喪失していた

そんな日々の中、ある日の公演中、過労と心労で倒れた

これをキッカケに仕事を全盛期の2割に減らした

家にこもりっきりの はらたいらは、鬱になり酒の量もすっかり減った

 

妻が不調を訴え、病院へ行った時のこと、「病名ですが、乳がんです」

49歳で乳がんを侵されたちず子

「手術すれば幸い乳房は残せます」「手術ってことは入院しますよね」

「はい、もちろん」「入院する日にちが短くする方法はありますか?」

乳がんに侵されながらも、はらたいらのことだけを案じていた

「入院を短くする方法はあります」「何ですか?」

「乳房を全部摘出することです」「全部 キレイに取ってください」

この医師の提案に即答した

術後、ちず子の見舞いに訪れた

体に管が繋がっているのを見ると はらは卒倒し、夫婦で入院する事に

 

ついにはらは、肝硬変を患う

病院嫌いだったはらは、すでに重度の症状

元々、人付き合いが苦手なはらは、ちず子がいないと

ナースコールを押す事さえできない

面会時間を終わった後も、不安で眠れないはらは、2時間おきにちず子に電話

ついには院内の宿泊が禁止されているにもかかわらず、

隠れて病室に泊まり込み、毎晩 はらが寝付くまで側に居続けた

「もう一度 生まれ変わってもお前と一緒になりたい」

それははらが、最期に妻に残した感謝の言葉だった

 

「はらたいらと結婚したことに何の公開もありません。はらたいらに全部、まさに私の人生全部、そう決めてましたから」

とはらたいらを送り出す ちず子は語った

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