●リヤカーを引いて行商をする倉子お婆ちゃん
佐藤倉子さん 84歳
住んでいるのは山形県鶴岡市由良
小さな港町で総重量70キロのリヤカーを引き、魚を売り歩く行商人をしている
この町は高齢者が多く、買い物に行けない人が多いため
倉子さんが一軒一軒訪問して販売している
そんな倉子さんがこの年まで働くもう一つの理由が…ある
今から61年前、漁師の常雄さんと結婚
4人の子供を育てるため倉子さんも地元で行商を始めた
そして34歳の時、夫と2人で鮮魚店をオープン
苗字の佐藤の佐と倉子さんの倉をとった佐倉商店
夫婦2人で懸命に働いた
倉子さんが58歳の時には、店を増築し長男が寿司店を開店
家族で支え合い幸せな生活を送っていた
しかし2001年の秋、夫:常雄さんが心筋梗塞で突然倒れ、74歳で他界
さらにその2年後、長男も食道がんを患い、この世を去った
わずか2年間で夫と長男を失った倉子さん
そんな倉子さんに遺されたのは、
長男が寿司店開店のために作った借金1100万円
借金の保証人は倉子さんだった
この時、72歳…年齢を考えるなら店をたたみ自己破産という方法もあったが、
佐倉商店を開店した時、夫:常雄さんから言われた言葉を思い出した
「これは2人の店だ。店の名前は佐倉商店にしよう」
夫が自分の為に遺してくれた店を守りたい
借金1100万円を働いて返済する事を決意した
返済は月々12万円
朝は4時に起き、市場へ。セリも倉子子さんがこなす
毎日70キロのリヤカーを引き、5㎞の道のりを歩く
帰宅すると次の日に売るための魚をさばき、気付けば夜中に
睡眠時間はわずか3時間程度
足は腫れあがり歩くのもの辛い
それでも…「今でも(夫に)恋をしてるんです」
亡き夫と長男の為に雨の日も雪の日もリヤカーを引き、必死で働いた
月々12万円を返し続け、1100万円の借金を1人で見事完済した
(1960)