今…あなたはここまで愛せますか?で紹介された中島啓之の最期のダービー
1985年、第52回 日本ダービーは
トウショウサミットが果敢な逃げでレースを盛り上げた
そして4コーナーで力尽き、馬群に沈んだ…
●中島啓之の最期のダービー
調教師の娘として競馬社会で育った中島聖恵は、
20歳で中島啓之とお見合い結婚した
結婚してすぐの1974年、
中島啓之は第41回 日本ダービーをコーネルランサーで優勝
1985年、家族団欒の中、突然 背中に激痛を訴え、
救急搬送、末期の肝臓ガンと聖恵に告げられた
今と違い、末期ガンの余命を本人に伝えることなど考えられない時代だった
残された時間…やりたい事をやらせてあげたい、と聖恵は考えた
中島啓之に内緒の闘病生活が始まる
それでも中島啓之の体は確実にガン細胞に侵されていった
自厩舎のトウショウサミットでダービートライアルのNHK杯に勝利
第52回 日本ダービーへの出走権を獲得した
激痛に耐える中島啓之の体は、すでに限界だった
医者からは入院して治療する事を勧められたが、
「待ってください。ダービーが終わるまで何とかなりませんか?ダービーだけは体が悪くなっても構いません。お願いします。ダービーの為ならこの命 何回でも差し出します」
「ダービーが終わったら治療に専念させるので夫の好きなようにさせてください」
ようやく医師の許可を得た
「ごめんな。家族がいるのに自分勝手で」
「私を誰だと思ってるの?調教師の娘だよ。小さい時から厩舎の中で育ってきた。あなたがやりたいようにやればいい、好きなように」
「俺…聖恵と結婚して良かった、ありがとう」
5月26日、日本ダービーで中島啓之はトウショウサミットに騎乗
余命がわずかな事に気付いていたのか、それは魂をかけた逃げだった
「ちゃんと観なさい」娘を抱きながら観戦
しかし無念にもトウショウサミットは馬群に沈んだ
中島啓之は、このレースからわずか16日後に帰らぬ人となった
43歳だった…
私は今でも悩みます。夫の好きなようにさせてよかったのかと…
治療に専念する道もあったのではないかと…
しかし騎手として命をかけたのだから…
最期まで騎手として生きていられたのだから…それでよかったのかもしれません
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