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2015年4月、カナダ アルバータ州に暮らすブレントは、
1973年型のアメリカのクラシックカーを購入した
かなり痛んでいたのでエンジンをはじめ、
あらゆるパーツを入れ替え、自分の手で整備した
ブレントは父と同じ油田の計測技師だった
車好きなのも父親譲り
妊娠中の妻と娘が一人
「男の子が生まれたら18歳の誕生日にこの車をプレゼントするんだ」が、ブレントの夢だった
整備には2年かかったが、車は新品同様に生まれ変わり、
家族でドライブするのが日課となった
 
2018年5月5日、仕事が休みだったブレントと妻は、
妻の妹に子供たちを預け、久しぶりにツーリングに出かけた
その時、直線を走っていたバイクと横道に入ろうとしたトラックが衝突
すぐに病院に運ばれたが、2人は亡くなった
あとには6歳のアリエルと3歳のリーアムが遺された
 
両親を失った孫を引き取れるのは、ブレントの父ベンと母しかなかった
祖父はすでに定年退職し、年金生活
夫婦2人が暮らしていけるギリギリの貯えがあるだけ
さらにアリエルとリーアムには、生まれつき聴覚障害があった
定期的に150㎞離れた病院まで検査を受けなければならない
2人が大人になるまでの教育費を合わせると、かなりの資金が不可欠
 
2018年9月6日、ベンは辛い決断を下す
リーアムが18歳になったらプレゼントするはずだったブレントの
クラシックカーをオークションに出すことに
「息子の形見の車で、2年もかけてレストアした美しい車です。遺された子供たちのためにどうしてもお金が必要で」
事情を知ったオークションの主催者は、ベンから手数料は取らないことに決めた
少しでも良い値が付くように最優先で扱った
オークション当日、司会者は、無くなったブレントは、
家族のために2年かけて修理し、
息子の18歳の誕生日に車を譲る夢を持っていたことを紹介した
落札価格は、29000カナダドル(日本円で約250万円)
予想された価格の倍近い価格だった
そして落札者が、車を寄付するとスタッフに耳打ちする
落札者は、車をもう一度オークションにかけ、
その落札金もベンのものとなるように申し出た
大きな盛り上がりの中、オークションが再び始まった
落札価格は30000カナダドル(日本円で約260万円)
2回目の落札者が、再び寄付をし、もう一度オークションにかけて欲しいと申し出た
3回目のオークションが始まった
3回目の落札価格は20000カナダドル(日本円で約170万円)
3回目に落札したボブ・ベビンズは、ベンに駆け寄る
「ありがとうございました。大切に乗っていただけると…」
「私は乗りません。あの車に乗るのは坊や君だよ。息子さんの車はあなたが持っていてください。そして息子さんが望んだように、いつかお孫さんに引き継いであげてください」
 
さらに、一家の話を聞いた人から寄付を集まり、
オークションの売り上げと寄付金を合計は、
約10万カナダドル(日本円で約870万円)となった

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2008年 アメリカ カルフォルニア州で悲劇的な事故が起きた
高速道路を走っていた乗用車に後方から大型トラックが衝突
この事故で後部座席に乗っていた3人の幼い命が一度に失われた
運転していたのは、3人の母親だったロリ・コーブルさん
幸せだった家庭が一転、地獄のどん底に突き落とされた
 
●事故で3人の子供を失った母親に起きた1/4000万の奇跡
しっかり者の長男:カイル、少し人見知りな長女:エマ、
お姫様の格好をするのが大好きな次女:ケイティ
そんな子供たちの成長を見守りながらし幸せに暮らしていた
 
そんなある日、長男:カイルの誕生日祝いで遊園地へ行った
夫は仕事だったため、ロリと子供たち3人
その帰り道、車は渋滞に巻き込まれてしまう
遊園地で遊び疲れた子供たちは、みな夢の中
次の瞬間、猛スピードで走ってきた大型トラックに追突された
車の後部座席は跡形もなくなり見るも無残な姿に…
ロリは、すぐに病院に運ばれた
丸一日気を失っていたロリは、脳振とうを起こし、
事故の記憶が一切なかった
「昨日の遊園地の帰り、君の車は事故に遭ったんだ」
「事故?」
「トラックに追突されたんだ」「子供たちは無事なの?」
「落ち着いて聞いてくれ3人とも…死んでしまったんだ」
我が子を3人同時に失い、ロリは泣き崩れた
 
ロリは生きる希望を失い、家でふさぎこむ日々を過ごしていた
子供の声を聞いただけで死んだ我が子を思い出してしまう
「ここにいるのが辛いわ!あの子たちのことが頭から離れないの!わたしがあの子たちを殺したのも同然なのよ。もう生きていく意味がないわ!」
 
ロリは、肉体的にも精神的にも限界に追い込まれていた
このままではロリが自ら命を絶ってしまうかもしれない
そう思った夫は、「もう一度子供を作らないか?」と提案
「いつまでも塞ぎ込んでいても子供たちは喜ばないよ。一緒に前を向いて生きていこう」
 
自分を幸せにしてくれた子供たちに
兄弟を作り、彼らを覚えてもらいたい
その思いを胸に前を向いて生きていこうと決意した
 
1年後、2人に嬉しい知らせが訪れる
「おめでとうございます、妊娠しています。三つ子ですよ!」
さらに「男の子1人、女の子2人です」「信じられない!」
 
この奇跡は、統計上 1/4000万の確率
 
その後、ロリは無事に三つ子を出産
亡くなった3人の命日には、必ず5人でお墓へ行くという

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奇跡体験!アンビリバボーで紹介された倒産寸前の十勝バスが起こした奇跡

それは地方の路線バス会社が日本で初めて起こした奇跡だった

北海道帯広市にある十勝バス

社長:野村文吾の誠実さと諦めない心は老舗バス会社の常識を打ち破った

 

十勝バス創業家の長男として生まれる

学生時代はテニス部で活躍、一時はプロを目指すほどの腕前だった

東京の本社を持つ大手ホテルチェーンに入社

広報としてキャリアを積んだ後、札幌に異動

エリートビジネスマンとして活躍する一方、

結婚し子供にも恵まれマンションも購入

順風満帆な日々を送っていた

 

●倒産寸前のバス会社

1998年、帯広でバス会社を経営する父が突然訪ねてきた

「会社をたたむことにした…」

十勝バスは帯広を中心に十勝地方全域に展開している路線バス

市民の足として70年に渡り愛され続けてきた

しかしマイカーブームの到来と共に利用者は減り続け、

その数は全盛期の3割まで落ち込んでいた

「それには筆頭株主のお前の了解が必要なんだ」

2代目社長だった祖父の株は、全て孫の文吾の名義になっていた

バス会社が無くなっても何も困らない…

しかし父がやってきたバス会社があったからこそ

今こうして自分はこの上ない幸せな日々を送れているのではないか

野村は決意した

翌日、父を呼び出しバス会社を継ぎたいと申し出をする

このまま十勝バスの危機を見過ごせない

こうして34歳で十勝バスに入社した野村は、

経営企画本部長として280人の社員の陣頭指揮をとることになった

その頃の十勝バスは補助金なしでは運営できない状況

だがその補助金も利用者が減り続ければ給付されなくなる可能性もある

一刻も早く立て直さなければ倒産するのは必然だった

野村は営業強化とサービス向上を訴えた

当時、十勝バスでは利用者の減少を自然減と呼んでいた

社員の誰もが客の減少は時代の流れ、

何をしても乗客が増えることなどないと諦めていた

それゆえ立て直しを図ろうとする野村と社員が対立するのも当たり前だった

野村は帯広青年会議所に入会した

先輩経営者たちとの交流をきっかけに会社を立て直すヒントを得たい、その一心だった

そんな野村の相談にいつも付き合ってくれたのが会議所の長原氏と笠原氏

毎晩、深夜まで会社再建について話し合った

ある日の事、野村はいつものように社員と父親の愚痴を聞いてもらっていた

「お前いい加減気付けよ。お前が会社をダメにしてるんだ」

「一緒に働いている人の事を愛せよ。従業員の皆さんを愛するって今ここで誓え」

胸を一突きにされた気分だった

今まで精いっぱいやっていいるつもりで大切なことが見えてなかった

「従業員の皆さんを愛します」この言葉にすがるしかなかった

翌日、野村はすぐに行動に移した

社員の前で「僕は間違っていました。すみませんでした」

早朝は出勤する社員全員に挨拶

暇を見つけては自分から歩み寄り、社員との距離を縮める努力をした

そして彼らの意見に耳を傾け、直接自分の想いを語った

その一方でわずかに残った会社の資産を売却するなど、

十勝バス存続のためにできることは全てやった

相変わらず赤字は続き、厳しい経営状態ではあったが、

野村の働きかけにより社員たちが少しずつ変わり始めた

 

そんな頃、野村は正式に社長に就任

まさにこれからと思っていた矢先、最大に危機が襲う

世界的な原油価格の上昇で燃料費が高騰

十勝バスはついに破産寸前に追い込まれた

さすがの野村も覚悟した

しかし、社員から「営業を強化するしかないですよね」の意見

それは10年前に野村が提案し社員に一蹴された営業強化、

しかも現状維持を望んでいた社員が前を向き始めた

社員らは自主的に各家庭に時刻表と路線図を配る準備を始めた

これはかつてどこの路線バス会社もやったことがない日本初のアイデアだった

実行に移せば新しい顧客開発に効果がある、野村はそう確信した

「チラシは白樺通19条停留所の周辺だけに配ります」

せっかくのアイデアだったが配布するのは一つの停留所、その周辺だけ

社員の中にまだ営業に対する拒絶感が残っていた

それは野村の想像の1/10程の範囲だったが、

社員自らが出した初めての提案にかけてみる事にした

十勝バス初めての営業、無論 社員たちにとっても初めての経験

緊張と恥ずかしさでポストに投函するだけでも勇気が必要だった

嫌な顔をする住人は一人もいなかった

逆にいろいろ質問されることの方が多かった

そして数日後…

「社長、最近何かありました?いつも素通りする停留所に客がいるんです」

「どこの停留所ですか?」「白樺通19条です」

それはまさに社員たちが自分の足で営業した停留所だった

これをきっかけに社員たちから様々なアイデアが出るようになった

通院や買い物する利用者のために目的別の路線図を作った

定期を利用する乗客には土日乗り放題のサービスを始めた

それらは皆 利用者の立場で考えたモノ

乗客にとって新しく魅力的なバスの利用法が生まれた

社員を愛すると決めてから6年余り、

その想いはいつしか利用者を愛する事に繋がっていた

そして十勝バスの乗客は自然と増加していった

十勝バスを取り巻く環境が少しずつ変わっていく

自分たちは必要とされている、その誇りが社員一人一人を支えた

野村が入社してから13年目の2011年、ついに十勝バスは増収に転じた

地方の路線バスの増収は全国初の快挙だった

さらに2014年2月、十勝バスの奮闘ぶりがミュージカル「KACHI BUS」となり、

地元帯広で上演された

(6299)

世界番付で紹介

●3万分の1の奇跡

アメリカに住むトラヴィスとタエーシャは、

お互いに結婚を意識する年齢

 

しかしトラヴィスには結婚に踏み切れない理由があった

それは先天性腎疾患…

トラヴィスの腎臓は生れつき25%しか機能しておらず、

この時、医師から宣告を受けていた

彼の場合、助かるには腎臓移植を受けるしかない

治療を続けるが、適合するドナーが見つからない

彼の腎臓に適合するドナーは、30000人に1人

家族全員が臓器移植を試みるが、適合しなかった

 

トラヴィスは自らの死を覚悟していた…

 

しかし奇跡が起こる…

 

3万人に1人の適合者が見つかる

その人物は、恋人のタエーシャだった

 

手術は無事成功、3か月後…

 

順調に回復したトラヴィスとタエーシャは、

メジャーリーグでの始球式を務める事に

大役を務め抱擁する2人…するとトラヴィスが片膝をつき、

「君のことを誰よりも愛してる。結婚してください」

大観衆の前で永遠の愛を誓った

(1729)

●日本人捕虜が建設した奇跡の劇場

1947年に完成したウズベキスタンのオペラ劇場:ナヴォイ劇場

旧ソ連では世界3大オペラ劇場と呼ばれるほど

この劇場建設には500人の日本人が携わっていたという

 

 

1945年、第二次世界大戦が終戦した

60万人がシベリアに強制連行され捕虜となる

当時、ソ連だったウズベキスタンでも

2万5千人もの日本人が強制労働を課せられた

劣悪な労働環境、零下30度を下回る

極寒の地で寒さに震えながら凍った木を切り出す

決められたノルマを果たさなければ食べ物すら与えられない

長時間の労働に加え、飢えとの戦い

過酷な強制労働にも関わらず日本人捕虜たちは手を抜かず仕事を全うした

それよりも彼らは工場や運河など

建設不可能と思われていた施設を次々と建設していく

真面目に働き続ける日本人捕虜の姿に現地の人は次第に心を惹かれていった

 

1945年、ナヴォイ劇場の建設が開始

この大規模なプロジェクトには500人の日本人捕虜が建設にあたった

作業は過酷を極め79人もの日本人捕虜が作業中に亡くなった

しかし日本人捕虜は手を抜く事なく作業を続けた

そんな彼らにはある合言葉があったという

それは「日本に必ず帰ってもう1度桜を見よう」

クレーンなどはなく手作業だったにも関わらず驚異的な速さで作業は進み、

3年はかかるだろうと思われた作業が、わずか2年足らずで劇場は完成した

与えられた仕事をやればいいという強制労働だったにも関わらず、

細部の彫刻に至るまで手の込んだ作りにするなど、

日本人としての誇りをもって作った完璧な出来栄え

 

劇場が完成してから20年後…1966年に起きたタシュケント大地震

市内では78000棟が倒壊する大惨事、未曽有の大災害

しかし、日本人が建設した建物は倒壊する事はなかった

ナヴォイ劇場は無傷だったため、市民たちの避難場所として多くの命を救った

日本人捕虜の真面目な仕事ぶりはウズベキスタン国民の心を打ち、

「日本人のように真面目な子になりなさい」と子供たちに教えた

 

1996年、カリモフ大統領が劇場建設に関わった日本人を称えるプレートを設置

大統領はプレートを作成する時、「彼らは恩人だ間違っても捕虜と書くんじゃない」と指示

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