2008年、アメリカ ミネソタ州の高校に

ブリックス・ファッシーが転校してきた

ホッケーが好きなシャイな高校生だった

転校の翌日、前の席のブリトーに写真を見せられた

「ねぇ覚えている?この写真」

ブリックスは魅力的なブリトーに一目惚れ

その写真は、子供の頃からブリックスの家の壁に貼られていた写真と同じ

 

明るくおっちょこちょいな性格のブリトニーに惹かれていくが、

彼氏がいると知り、ブリトニーを避けるようになっていった

その頃、ブリトニーは彼氏と別れており、

ブリックスの事が気になり出していた

その事実を知らないブリックスは、

自分の気持ちを抑える為、あえて冷たい態度を取り続けた

そして2人は言葉を交わす事すら出来なくなっていった

そんな関係が8か月も続いた…

あるパーティーでブリトニーが彼氏と別れた事を知る

これをキッカケに2人は徐々に距離を縮めていった

そして…「僕の彼女にならない?やっと言えた…」「OK」

交際を始めてみるとアウトドア好きという趣味も同じ

家族を大切にする気持ちも同じ

さらに不思議な事はお互い何も言ってないのに、

相手の気持ちが分かってしまう

そんな2人は、いつも一緒だった

 

やがて2人は、それぞれ希望する大学へ合格

遠距離恋愛となったが、想いは変わらなかった

卒業を間近に控えた11月、「これ僕が作ったアルバム」

ブリトニーにプレゼントされたアルバム

そこには2人の出会いからの軌跡が…

「次の気持ちが僕のページだよ」 それはブリックスが7歳の頃、将来 好きな人ができた時の為に

“WILL YOU MARRY ME?(結婚してくれませんか?)”

プロポーズの言葉を体に書いて撮った写真だった

「僕と結婚してください」

 

2015年1月10日、結婚式が行われた

式が行われた後のパーティーである映像が流された

 

それは…20年前(1995年)に行われたとある結婚式の映像

そこにはタキシードとウェディングドレスで着飾った子供

男の子は結婚指輪を持つリングボーイ

女の子は花を巻いて歩くフラワーガール

2人は手をつないでヴァージンロードを歩いていく

その2人こそ20年前のブリックスとブリトニー

 

転校翌日にブリトニーが見せた写真、

ブリックスの家にずっと飾られていた写真が、この時の写真だった

 

2人は新郎新婦の知人ではあったが、それまで全く面識はない

また両親同士も知り合いではなかった

その後もブリックスがブリトニーの通う高校に転校してくるまで

全く会う事はなかった2人

 

ブリックスの転校により偶然再会

そして偶然、ブリトニーの後ろの席にブリックスが座ることになった

3歳の時に結婚式で会った2人が、

ブリックスという少し変わった名前だった事を憶えていたブリトニーは、

写真を見て本人だと確信。彼に話しかけたのだった

 

そして2人は20年前と同じヴァージンロードを歩いた

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世界ふしぎ発見で紹介

●ローマ法王が認めた日本の彫刻家:奥村信之

バチカン宮殿の奥深く一般の立ち入りが硬く禁じられた部屋に

ヨハネ・パウロ2世のブロンズ像が飾られている

世界平和に尽力した偉大な法王の像を作ったのは一人の日本人 彼は今、ブラッチャーノという小さな町にアトリエを構えている

紀元前に掘られた洞窟で日々創作に打ち込んでいる 1985年、30を超えた奥村は、拠点をイタリアに移した

ミケランジェロ、ベルニーニといったルネッサンスや

バロックを代表する巨人たちの作品を間近にし、

芸術の息吹を感じながら彫刻に取り組みたかった

折からのバブルでイタリア在住の日本人彫刻家には日本からの仕事が殺到

しかしバブルが崩壊すると生活は一変、収入は全く無くなった

救いを求めてイタリアを代表する彫刻家:エミリオ・グレコの門を叩いた

自分の作品を見てもらった

「お前の資質はリアリズムにある。血の通った作品を作れ」と言葉を貰った

相変わらず収入はなく蓄えを食いつぶす生活だった

 

骨格、筋肉、重心の位置、基本から勉強し直した

人間をひたすら観察し、

肉体が透けて見えるようになるまで感覚を鍛え上げた

作品を創り上げては、グレコの下に通う

そんな生活が5年も続き、道しるべだった師匠も世を去った

 

そんな折、夫人を介してボルゲーゼ公爵の像を作る事に

週2回、屋敷に通い半年かけてあらん限りの情熱を注ぎ込んだ

完成したブロンズ像を見た公爵は、押し黙り、ただただ感動していた

リアリズムを極めた像からは人間の内面も浮き上がってくる

 

奥村の名は一気に広まった

そしてカトリックの有力者から

法王ヨハネ・パウロ2世の在位25周年に贈るブロンズ像を依頼される

カトリック教徒11億人の頂点に立つ法王をどう表現すべきか?

写真をつぶさに観察した奥村は、作品にひとつの想いを込めた

法王のエネルギッシュだった60代、威厳にあふれる80代、2つの横顔を刻み込んだ

隆起する血管は若々しさを、ふくよかな輪郭は風格を

2003年、在位25周年記念式典、像を完成させた奥村は法王の前に立った

「ありがとう。ありがとう」と法王は感謝し喜ばれた

 

ブロンズ像はバチカンの心臓と呼ばれる宮殿の一角に置かれている

その反対側にも同じような胸像が置かれていた

それはベルニーニ作のウルバヌス8世の胸像

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●カンボジアの飲める水道水を作った日本の公務員

メコン川のほとりにあるカンボジアの首都プノンペン

20年にも及んだ内戦の傷を乗り越え、その象徴ともいえるのが水道

メコンの水を浄化しているプロンペンの水道は、水質がよく飲める

安全と美味しさの秘密は徹底した水質管理にある

WHOの基準では濁り度5度以下が安全、プノンペンの水道水は0.41度

プロンペンの奇跡と呼ばれている

 

1999年、内戦の痛手を負ったプロンペンでは、

水道インフラの整備が緊急の課題だった

カンボジア政府は技術者の派遣を日本に要請

だが地雷の撤去もままならない国には誰も行きたがらなかった

 

唯一、手を挙げたのが北九州市

最初に派遣されたのが、市の職員 下水道局:久保田和也

当時、カンボジアでは各国の支援で水道管こそ通り始めていたものの、

水の浄化までは手が回っていなかった

蛇口からは薄い出がらしのお茶みたいな水が流れていた

 

久保田は、プロンペンの水道公社の総裁に訴えた

「一日も早く飲める水道水に変えましょう」「ここは日本じゃない」

まだ水道が無い地域では、

水汲み労働の為に1日費やす女性や子供がたくさんいる

彼らを重労働から解放するのが先決で飲める飲めないは二の次

 

その頃、プロンペンでは漏水も深刻な問題だった

水道管から水が漏れ、家庭の届く水が7割も消えていた

久保田は総裁に提案する

 

町を巡る1千キロの水道管にメーターを取り付け、

ブロックごとにコンピューターで管理すれば、

どこで漏水が起きているか?一目瞭然である

北九州市では当時 日本で最新の管理システムを開発していた

しかしカンボジア人にハイテクは無理だと誰からもムリだと否定された

久保田は根気よく説得し始めた

そこに助っ人として加わったのが、漏水管理システムの生みの親:木山聡

システムの設置から運用のトレーニングまで、辛いハードワーク

祖国復興を願うカンボジアののスタッフは、真剣だった

2001年、システムが漏水システムが完成した

 

さらに日本からの公的援助により、浄水場も完備

安全・安心な水道水が市内 ほぼ全ての家に供給できるようになった時、

総裁は高らかに宣言した「プノンペンの水道は安全です」と

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●生まれつき聴覚に障害のある母親が初めて聞いた愛する娘たちの声

1982年、アメリカ テキサス州

サラは、ごく普通の家庭に生まれた

2年後、大きな音にも反応を示さないサラを病院で検査

その結果、ほとんど音が聞こえない感音難聴と診断された

補聴器を付けるも、サラにとって言葉は、ただの雑音でしかなかった

そこで両親は口の動きから言葉を読み取る読唇術を学ばせる事に

両親はあえて手話を使わずサラに読唇術を身に付けさせた

やがてサラは一般の小学校へ入学

座席はいつも先生の口が良く見える一番前の席

誰よりも努力し成績も優秀だった

こうしてサラは自分から逃げることなく学校に通い続け、一般の高校を卒業

その後、サラは近所のカフェで働き始めた

前向きな性格と明るい笑顔、彼女は周囲の人達から愛される存在だった

 

そんなある日、いつもサラを可愛がってくれる常連客の息子:スローンと出会った

スローンは、一目で恋に落ちた

やがて足繁くサラの店に通うようになり、

いつしか2人の距離は縮まっていった

「今日はご飯を食べに来たんじゃないんだ。初めて会った時から君の事が好きだった」

スローンの突然の告白、サラは生まれて初めて恋をした

2人は どこに行くにも一緒だった

スローンは恋人であると同時にサラの耳となった

2001年、サラが19歳の時 2人は結婚

数年後、サラは2人の娘の母親となった

絵に描いたような幸せな生活…

しかし幸せになればなるほどサラには、ある思いが募った

 

愛する娘たちの声が聞きたい…

 

2011年、車を運転するスローンが何気なくラジオを流していると、

「耳に直接 埋め込むことで難聴の方でもより自然な音が聞こえるようになる画期的な医療技術が開発されました」

サラの難聴が治るかもしれない、スローンは興奮を抑えられなかった

すぐに問い合せすると、片耳で3万ドルかかる事を知る

数日後、スローンの母親が老後の生活費に貯めていた貯金をサラに渡した

最新の技術でサラの耳が聞こえるようになる、そんな噂は瞬く間に広まった

家族や友人たちの支えにより手術に必要な費用が集まった

 

サラが29歳の時、手術が行われた

頭の内部に埋め込み、鼓膜の振動を拾って

補聴器よりも強力に音を増幅して伝える技術

手術は9時間にも及んだ

手術から2ヵ月、埋め込んだ機械を作動させる日

29年間、音のない世界で生きてきたサラが初めて音を聞く

 

 

こうしてサラは何よりも聞きたかった家族の声に囲まれ、

幸せに暮らしている

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TRUE STORYで紹介

もし妹が生まれなければ姉は生きることができなかった

●18歳の姉の命を救うために生まれてきた妹

1987年、アメリカ・ウォルナットに住むアニッサ・アヤラ

体を動かす事が大好きな活発な少女だった

16歳の誕生日、パーティーの最中、突然腹部に大きな痛みを感じた

この日を境に、倦怠感と腹痛を感じるように

1988年3月、パーティーから1週間後、

治まらないお腹の痛みと発熱、母親と共に病院に

検査の結果、慢性骨髄性白血病

進行しているので化学療法が必要だった

10年生存率は25%…「厳しい試合になりそうだけど私 絶対負けない」

 

当時アニッサが助かる方法は、骨髄移植のみ

兄弟間のドナー適合率は1/4、

両親やその他の人々と適合する確率は1/数万

兄:アロンに望みがかけられたが、結果は不適合だった

発症から半年後…

適合したドナーが見つかったが、突然、骨髄の提供を拒否

「他にドナーを見つける方法はないのでしょうか?」

「医師として言うべきではないことかもしれませんが、アニッサと適合する確率が数万分の1しかないドナーよりも兄妹ならば4分の1という高い確率で適合します」

「つまりアニッサに弟か妹が出来れば良いということなんですね?」

 

「あの子を助ける為なら何でもする。骨髄移植のために子供を作る。アニッサの命を救うために生まれてきてもその子は私たちの大切な子ども。愛する人のために命を懸ける それが家族にしかできないこと」

母は父を説得、夫婦は大きな決断を下した

その数か月後、「アニッサ、実はニュースがあるの。新しい兄妹が出来るのよ」

「良かった!これであたしがいなくなっても寂しくないね」

「アニッサ 何言ってるの?あなたの為に生まれてくるのよ」

この事実が、世間の知る事となりマスコミでも大きく報道

命を巡るこの問題は全米を巻き込む大論争となった

 

もし兄妹がドナーとしてマッチしなかったら中絶を繰り返すの?

子供は他の人間の治療道具ではない、など

 

1990年4年、妹:マリッサが誕生、検査の結果 アリッサと適合した

マリッサの体重が増える1年2か月後、骨髄移植が行われ、無事成功した

 

「アニッサを助ける事が出来て本当にうれしい」

姉の命を救うために生まれてきた妹、18歳になったマリッサは語った

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