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テレビで放送された たった4分半の予告編

 

それは韓国で製作された映画「7番房の奇跡」

 

主人公は知的障害を持つ父親とその娘:イェスン

障害を乗り越え幸せに暮らす2人

 

ところが父は誤解から無実の罪をきせられていく

無情な人間たちによって父は犯罪者に仕立て上げられてしまった

そのまま逮捕され収監された

転校することになった娘は、馴染めずひとり寂しく父を思った…

父も塀の中で娘に会いたいと思いを馳せていた…

 

そんなある日ヨングに命を助けられた7番房の房長と仲間たちが、

娘イェスン潜入大作戦を決行、2人は塀の中で再会

 

しかし二人の幸せな時間は長くは続かず…親子は引き裂かれてしまう

 

「パパずっとここにいて。私が会いに来るから。怒らないから“いい所”に行かないで」

 

 

鼻をすすり、胸がこみ上げ、たかが予告編なのに涙が止まらなかった

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中国全土が涙した奇跡

●母の車いすを押した3300キロの旅

北京で母親と一匹の犬と暮らすハン・モウさん(26歳)

仕事では失敗続き、さらに4年間付き合っていた彼女にもフラれ、失意のどん底にいた

しかし塞ぎこんでいても仕方がない、そう思ったハンさんは旅行に行くことにした

母親のコウ・ビンクンさんは、幼い頃、小児マヒを患い足に障害が残っていた

さらに心臓に持病を抱え、飛行機や車での長距離移動も出来なかった

そのため彼女は生まれてから一度も旅行に行ったことがなかった

そんな彼女が、一度は行ってみたいと思っていたのが、中国南部のシーサンパンナ

タイ族などの少数民族が独自の文化を築き、

暖かい気候と美しい自然に溢れた観光地

ハンさんは母親を連れてシーサンパンナまで旅をする事に…

旅の目的を傷心旅行から母へ捧げる親孝行の旅へと変えた

登山リュック、テント、寝袋などをはじめ合計150キロの荷物を用意した

北京からシーサンパンナまでは3000キロ以上

飛行機や長距離バスに乗れない母のために車いすを押し、歩いて旅行する事にした

2012年7月11日、果てしない旅がスタートした

母と愛犬、そして150キロの荷物を車いすに乗せて

水や食料は必要な分だけを買い込み、無くなるたびに補給

夜は宿泊施設が無ければ道端にテントを張って野宿した

7月14日、3日間ずっと押し続けたハンさんの靴下は破れ、

足にはいくつものマメができていた

 

1959年、ハルピン市に生まれた母が北京に引っ越したのは2歳の時

ほどなくして小児マヒにより杖がなくては歩けない体になってしまった

そんな彼女を慰めようと父親が見せてくれたのが、

シーサンパンナのお祭りを撮影した映像だった

その美しい光景に目を奪われた

シーサンパンナは、いつしか彼女の中で憧れの地となっていた

 

旅を始めてから1月ほどするとハンさんの肉体は逞しく成長

1日に進む距離もどんどん上がっていった

車いすのタイヤは穴が開くたびに修理し、擦り減ったら予備のタイヤに付け替えて進んだ

9月24日、サーサンパンナまで730キロ

険しい山道の連続に車いすの車輪が壊れてしまった

あたりに人が住んでいる気配はなく予備のタイヤも底を尽いていた

何度か修理を試みたが、これ以上車いすで進むことが出来ないのは明らかだった

旅を諦めるしかない、と思ったその時、

見ず知らずの人が新品の車いすを持って現れた

「書き込みを見てるよ」

実はハンさんは道中の様子を中国版ツイッター(ウエイボー)に書き込んでいた

そして車いすが壊れた事も…

ハンさんの書き込みを見た多くの人が

彼の途方もない親孝行の旅に大きな共感を寄せていた

そして、すぐさま車いすを持って駆け付けてくれた

親と子が思いやる気持ちは次第に多くの人の心を動かし、

やがて水や食料、着替えなど、旅に必要な物を届けてくれる人たちが次々と現れた

気付けばたくさんのボランティアに囲まれながらシーサンパンナを目指していた

そして数々の困難を乗り越え出発から100日後の2012年10月18日、

親子はシーサンパンナに到着した

現地の人は親子を心から祝福

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内村とザワつく夜で紹介

●子どもがサンタ

シングルマザーとして子育てを頑張る2児の母

昼は工場の事務、夜はコンビニで働いている

それでも生活は苦しく娘たちに好きな物を買ってあげられるのは誕生日とクリスマスだけ

そして12月23日、「2人とも今年一年良い子にしてたから、またサンタさんからカードが届きました」

クリスマスに欲しいプレゼントを書くカードを姉妹に渡した

「わたしプリキュアの変身セットにする」

「ユキナはどうするの?クマさんのぬいぐるみが欲しいってずっと言ってたでしょ?書いちゃいなさいよ」

「う~ん、ちょっと考える」

その日の夜…次女:ユキナのカードを確認すると

“サンタさんへ お母さんがいつも肩が痛いって言ってるから、マッサージ機が欲しいです ユキナより”

12月24日の夜、姉妹が寝静まった枕元に

長女には希望通りプリキュアの変身セットを、

そして次女には、前から欲しがっていたクマさんのぬいぐるみを買ってあげた

12月25日の朝、長女は大喜びで母に報告

しかし起きているはずのユキナが部屋から出てこない

「ユキナ どうしたの?サンタさんのプレゼント欲しいのと違ったの?」

「サンタさんから貰ったよ。ハイこれ」

ユキナが渡したのは“肩たたき券”

「サンタさんにお願いしたら くれたの。良かったね お母さん いつでも使っていいからね」

「ユキナありがと」

「違うよ サンタさんにお礼 いいなよ」

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それは全米を感動させた一人の少女の実話

●エレナが遺した天国からの愛のメッセージ

 

エレナは絵を描くことが大好きな女の子

愛情たっぷりの両親と2歳年下の妹:グレースに囲まれて幸せに暮らしていた

しかし6歳の誕生日を間近に控えたある日…母はエレナの体の異変に気付く

エレナはろれつが回らず真っ直ぐ歩けなくなってしまった

病院での検査の結果、下った診断は悪性の脳腫瘍

医師から宣告された余命は4か月半

両親はエレナに残された時間を特別なモノにしてあげたかった

本当の病状は隠し、エレナの為に出来るだけ時間を作って一緒に出掛ける

彼女のやりたい事を思う存分させた

夢だったイルカと泳ぐ夢もかなえた

必ず治ると励まし続けた両親

しかし病状は次第に悪化

右半身は麻痺して動かなくなり、声も出ない

痛みを抑えるため投与されたステロイドの副作用で顔は大きく腫れた

それでも体調が良い日は利き腕とは逆の左手で絵を描いた

そして4か月半過ぎてもエレナは生き続けた

しかしついに限界を迎え、余命先刻から8か月半後、

2007年8月11日、エレナは天国へと旅立った

 

悲しみにくれる両親

しかしエレナは両親にあるモノを遺していた

別れから数日後、母親が何気なくエレナが好きだった本を開いたその時…

中から小さなメモが出てきた“ママ パパ 愛している”

エレナが書いたモノだった

 

しかしメッセージはこれだけではなかった

 

父が長年使っていたカバンの中にも、“愛してるパパ”

その後もエレナからのメッセージは本棚やタンスの中、家の至る所から見つかる

さらにエレナの手紙は妹のグレースにも“グレース愛してる グレースゴーゴー!”

 

エレナは自分に残された時間がわずかであることを知り、

愛する家族へ手紙を書いていたのかもしれない

自分がいなくなってもさみしくないように…と。

 

エレナからの手紙は見つかり続けた

両親は敢えてすべて探そうとしなかった

死から6年経った今でもたまに手紙は見つかるという

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