夫婦愛/恋愛」カテゴリーアーカイブ

お笑い芸人:オオカミ少年が語った粋な話

 

●おしどり夫婦のおじいちゃんとおばあちゃん

 

近所でも有名なおしどり夫婦だった

 

ある日、交通事故に遭ったおじいちゃんは、

記憶を失ってしまった

 

愛する家族の記憶も、

最愛のおばあちゃんの記憶も無くなってしまった

毎朝おばあちゃんを見ると「初めまして」と挨拶してしまう

しかし、おばあちゃんは懸命に毎日お世話を続けた

 

数年後、正月に家族が久しぶりに集まることに

 

家族の記憶もないおじいちゃんに、

おばあちゃんが家族を紹介していると、

急におじいちゃんが

「あなたは本当に優しい方だ。いつも僕に笑顔で話しかけてくれる。本当に僕は嬉しくてしょうがない。もしあなたがひとり身ならば僕と結婚してください」

それを聞いておばあちゃんは

「はい。何があってもあなたの横にいさせてください」

と人生2度目のプロポーズに返事した

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今…あなたはここまで愛せますか?で紹介された中島啓之の最期のダービー

1985年、第52回 日本ダービーは

トウショウサミットが果敢な逃げでレースを盛り上げた

そして4コーナーで力尽き、馬群に沈んだ…

●中島啓之の最期のダービー

調教師の娘として競馬社会で育った中島聖恵は、

20歳で中島啓之とお見合い結婚した

 

結婚してすぐの1974年、

中島啓之は第41回 日本ダービーをコーネルランサーで優勝

 

1985年、家族団欒の中、突然 背中に激痛を訴え、

救急搬送、末期の肝臓ガンと聖恵に告げられた

今と違い、末期ガンの余命を本人に伝えることなど考えられない時代だった

残された時間…やりたい事をやらせてあげたい、と聖恵は考えた

中島啓之に内緒の闘病生活が始まる

それでも中島啓之の体は確実にガン細胞に侵されていった

 

自厩舎のトウショウサミットでダービートライアルのNHK杯に勝利

第52回 日本ダービーへの出走権を獲得した

 

激痛に耐える中島啓之の体は、すでに限界だった

医者からは入院して治療する事を勧められたが、

「待ってください。ダービーが終わるまで何とかなりませんか?ダービーだけは体が悪くなっても構いません。お願いします。ダービーの為ならこの命 何回でも差し出します」

「ダービーが終わったら治療に専念させるので夫の好きなようにさせてください」

ようやく医師の許可を得た

「ごめんな。家族がいるのに自分勝手で」

「私を誰だと思ってるの?調教師の娘だよ。小さい時から厩舎の中で育ってきた。あなたがやりたいようにやればいい、好きなように」

「俺…聖恵と結婚して良かった、ありがとう」

 

5月26日、日本ダービーで中島啓之はトウショウサミットに騎乗

余命がわずかな事に気付いていたのか、それは魂をかけた逃げだった

「ちゃんと観なさい」娘を抱きながら観戦

しかし無念にもトウショウサミットは馬群に沈んだ

中島啓之は、このレースからわずか16日後に帰らぬ人となった

43歳だった…

 

私は今でも悩みます。夫の好きなようにさせてよかったのかと…

治療に専念する道もあったのではないかと…

しかし騎手として命をかけたのだから…

最期まで騎手として生きていられたのだから…それでよかったのかもしれません

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奇跡体験!アンビリバボーで紹介

アメリカ・アイオワ州デモインのFMラジオ局:KSTZでは

毎年クリスマスシーズンになると恒例のサプライズ企画が行われる

リスナーからクリスマスの願いを募集し、

スタッフから選んだ一人の願いを可能な限り叶えるという人気企画

●天国から届けられたサプライズ

2011年、アイオワ州に住むブレンダ・シュミッツは、

夫のデビットと4人の子供と共に幸せに暮らしていた

しかしブレンダは末期の卵巣ガンを発症

さらに余命半年を宣告された

ブレンダは辛い治療にも耐え続けた

「みんな良くしてくれる。何か病院の人達に恩返しがしたいわ」

周りに気を配る事も忘れなかった

そんな彼女が一度だけ取り乱したことがあった

「どうして!どうして私なの!マックスは2歳になったばかりよ。母親無しで生きていけって言うの?そんなのあんまりよ」

家族との別れが訪れる、その恐怖だけは消えなかった

そして懸命な治療の甲斐なく病状は徐々に悪化…

2011年9月、ブレンダ・シュミッツはこの世を去った

 

デビットはお礼がしたいというブレンダの生前の想いを込め、

彼女が好きだった花を病院に贈った

 

ブレンダの死から1年…

家族は彼女がいない生活に少しずつ慣れ始めていた

 

そんなある日、デビットはジェーン・アブラハムという女性と出会う

ジェーンは2人の子供を持つシングルマザーだった

それは友人から強く勧められた縁談

同じ苦労をしている同士、自然と会話が弾んだ

2人は度々会うようになった

しばらくすると家族ぐるみの交際まで発展

 

2013年12月16日、ブレンダの死から2年…ある日のこと

「デビット・シュミッツさんですか?」「はい」

「FMラジオ局:KSTZなんですが、番組にあなた宛ての願いが書かれた手紙が届いているんです」

「私ですか?誰からです?」

「それは事情があって電話ではちょっと…木曜日に翌日放送分の収録があるのですが、スタジオにお越しいただけないでしょうか?」

 

12月19日、

「デビット 来てくれてありがとう。君に特別なクリスマスの願い事があるんだ」

スタッフの女性がある手紙を読み始めた

 

「こんにちは 私の名前はブレンダ・シュミッツです。この手紙が届く時 私はもうすでにガンに負けてしまっている事でしょう。私はこの手紙を友人に託し、もしデビットが新たなパートナーを見つけたらラジオ局に この手紙を送ってほしい と伝えました。デビットは素晴らしい夫であり父であり今後も家族のために最良の決断を下してくれるでしょう。そしていつか子育てを手伝ってくれる思いやりのある女性を見つける事でしょう。彼女はきっと素晴らしい女性のはずで。私たちの4人の息子、あの子たちが母親をなくすなんて今 考えただけで泣けてきます。彼らが大人になるのを見られないのはとても心残りです。私がこの手紙を書いてのはデビットと子どもたちを心から愛しているという事、そしていつも見守っているという事を知って欲しいからです」

 

手紙の日付は、2011年8月3日、ブレンダの死のおよそ2か月前だった

あの時、すでに死を覚悟し、

残された家族のことを考え番組に手紙が届くようにしていた

 

そして手紙にはデビットの新しいパートナーについても書かれていた

「息子たちの母になってくれてありがとう。母親として愛情を注いでくれて本当にありがとう。あなたがだれであろうと、あなたのことを愛しています」

 

手紙の最後にはブレンダの3つの願いが書かれていた

 

“まずは4人の子供たちの新しい母親に思いきりリラックスできる時間を与えて欲しいです。彼女を笑顔にしてあげてください”

 

“家族には魔法にように素敵な旅行に出かけて欲しいです。一生の思い出ができる場所へ”

 

“最後に私のガン治療をしてくれた病院のスタッフにご馳走たくさんのパーティーを贈りたいです”

 

ブレンダの3つの願いは、ラジオ局によって叶えられた

 

このラジオが翌日放送されるとメディアで大きく取り上げられた

 

2014年8月30日、デビットとジェーンは結婚式を挙げた

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解決!ナイナイアンサーで紹介

●ラーメンの鬼:佐野 実が最後に妻に送った言葉

2014年4月11日、糖尿病による多臓器不全により63歳でこの世を去った

 

妥協を許さないその姿勢からラーメンの鬼と恐れられた

ラーメン屋志那そばやで一躍人気者になった佐野

しかし実はその裏で、糖尿病を患い闘病生活を送っていた

そんな佐野実を支え続けたのは妻:しおりさん

佐野は妻の手料理にまで厳しく、家庭でも妥協は許さなかった

 

2014年2月、糖尿病が悪化し腎臓と肝臓の機能が低下し緊急入院

何とか命の危機を脱したが、予断を許さない状態

それでも…「何かしてほしいことある?」「ラーメン食べたい」

頭からラーメンの存在が消える事はなかった

妻は弟子に頼んでラーメンを用意

病床の佐野を気遣い、通常のスープをお湯で薄めた特別なもの

しかし「スープが薄い!お前らこんなもの店で出してるのか!」

 

死の2日前、「今までで1番嬉しかったことは何?」と妻が聞いた

「お前と出会ったこと」「他にもあるでしょう?2番目は?」

「2番目もお前と出会えたこと」「じゃあ3番目と4番目は?」

「3番目も一緒だよ。同じこと何度も言わせんな」

佐野の言葉は妻も意外だった

それから2日後、佐野実は息を引き取った

 

そして今、妻は夫の意志を継ぎ、

オーナーとして佐野が大切にした店を守っている

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解決!ナイナイアンサーで紹介

●芸人:春一番が死ぬ前に妻に残した最後の言葉

2014年7月3日、47歳の若さでこの世を去った芸人:春一番

アントニオ猪木のモノマネでブレイク

そんな春一番を長年 春一番を支えてきた妻:綾さん

 

実は、亡くなる前日まで いつもと同じように妻と会話し、

いつもと同じようにお酒を飲み、知らず知らずに眠りにつく、

普段通りの生活を送っていた

酔っ払った春一番に「大丈夫 春さん」と布団をかけた妻に

「ごめんね ありがとう」寝言のようにつぶやいた

それからわずか4時間、事態は急変

愛する妻の隣で、顔は真っ白、すでに呼吸は止まっていた

救急車が来るまでの間、妻は心臓マッサージを続けたが…

 

春一番を死に追いやったのは、酒

撮影の合間でも酒を飲み、酒のせいで

遅刻など仕事でトラブルを起こすこと度々

憑りつかれたかのように酒を浸った人生だった

 

一番心を痛めたのは、いつもそばにいた妻の綾さんだった

何度もお酒を控えて欲しいと頼んだが、お酒を止めようとしない

その果てに所属事務所を解雇

これを機に、春一番の酒の量は増えていった

何年経っても「あの時しくじった」といきなり言い出し落ち込んでいく

当時の生活費は妻のバイト収入のみ

そしていつしか春一番の酒の量は限界を超えていた

1日にバーボン1リットル、ワイン3本を飲み干すように

酒に救いを求めた結果…緊急入院

腎不全、肺気胸、肝機能低下…内臓はボロボロだった

3度に渡る手術を受け、春は生死の境をさまよった

3か月半後、春は奇跡的に回復した

酒断ちを決めた春は個人事務所を設立

未経験ながら綾さんがマネージャーを担当し、少しずつ仕事が増えていった

しかし春は酒の魔力から抜け出せずにいた…

 

15年前に綾さんの母が他界、悲しみに暮れていた

当時の春は事務所を解雇され、酒の量が増えてしまっている時期だった

どん底にいる春一番の妻として母を失った悲しみを封印していた綾さん

しかしその辛さは限界に達していた

そんな時、春が、亡くなった母、おじいちゃんや弟まで、

モノマネの家族総出による励まし

春は周りの人が落ち込んでいるのをとにかく心配する

自分が辛い時にでも大切な人には笑顔でいて欲しい、

優しい人柄ゆえの行動だった

 

2014年6月22日に最愛の妻を亡くしたダンカン

葬儀が行われたのは春が急死する1週間前、

その葬式に春が弔辞を出していた

“マリリン様のご訃報に接し、心から哀悼の意を表します。ご遺族の皆様のお悲しみは、いかばかりかとお察し申し上げますとともに、香典ドロに中野まで伺う電車賃にも事欠く有様をお察しください。なお弔い酒はいつでもお付き合いします。謹んでご冥福をお祈りいたします。ダンカンさん元気ですかー!”

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