宇宙の謎を解き明かした物理学者:ホーキング博士

1942年、両親共にオックスフォード大学 卒業という超エリート一家に生まれた

子供のころクラスメイトに付けられたニックネームは、アインシュタイン

周囲と比べ桁外れの知能を持ち合せていた彼は、

数学の先生が教科書から宿題の出すと

問題を解いた上で教科書の全ての間違いを修正して提出

 

1959年、飛び級して17歳でオックスフォード大学の物理学部に入学

ボートクラブに入り、毎日パーティーをして遊んでいた

しかし彼の身体に異変が起きる

大学の最後の年、突然転んでしまうことが何度か起きた

大学を首席で卒業すると20歳でケンブリッジ大学の大学院に進学

そこで当時、科学界の最大の争点、宇宙の始まりについて研究を始めた

 

体の異変がおさまらず2週間入院して精密検査を受けた

運動ニューロン疾患(筋委縮性側索硬化症)と診断された

手足や口など身体の筋肉を動かす神経が障害を受け、

徐々に体が動かなくなり最悪の場合 呼吸不全で死に至る難病

医師からは余命2年と宣告された

体がいつ動かくなってしまうのか?彼は途方に暮れた

研究していたことも全て無駄になるのではと自暴自棄になった

 

そんな彼を絶望から救ってくれたのが、

ジェーン・ワイルドとの出会いだった

彼は恋におち、生きる望みとなった

彼女と結婚するにはお金が必要、そのためには生きなければならない

そんな彼が生計を立てるには、物理の道しかなかった

すると世界を揺るがす事になる新たな説に辿り着いた

それは 宇宙はビッグバンと呼ばれる大爆発によって始まったという説

彼は限られた期間で、ビッグバン宇宙論を証明するしかない

研究を続けることで大学から奨励金を貰う事が出来た彼は、

ジェーンと結婚

 

だが彼の体を徐々に病気が蝕んでいく

ハネムーンはニューヨーク州にある大学の物理学会議だった

2人は子宝にも恵まれ、いつしか余命の2年も過ぎていた

 

大学院で博士号を取得した彼は、

宇宙の研究を続けながらケンブリッジ大学で物理学を教えることに

その頃になると彼は立つことが出来なくなり以来、車いす生活を余儀なくされる

体が衰弱する一方で、ビッグバン宇宙論の理論を組み立てることに成功

多くの科学者を納得させるもので

やがてホーキングの理論が科学界の定説となった

 

だが病気はさらに進行

手がほとんど動かなくなり文字や計算式を書く事もできなくなった

彼は髪やペンを使わず頭の中で宇宙の図式を組み立てることにした

もはや時間は残されていないと思い、宇宙の始まりについての研究を本に残そうと決意した

 

そんなある日、肺にばい菌が入り、それが元で肺炎に

こん睡状態で生命維持装置に繋がれた

医師はジェーンに生命維持装置のスイッチを切ることを提案した

ジェーンは拒否

数週間に渡る治療の末、何とか一命をとりとめる

この時の手術で喉を切開したため話す事は完全にできなくなった

常に人工呼吸器に繋がれ、24時間の看護が必要となった

もはや本を書き上げることは不可能と誰もが思っていた

だが彼はわずかに動く手でマウスを握り、執筆を再開した

そして数か月後、驚くような速さで書き上げた本が「ホーキング、宇宙を語る」

世界40カ国で翻訳され、発行部数は1000万部以上となった

そしてホーキングは研究以外にも様々な事にチャレンジし、人生を謳歌していく マスコミに追われる事でストレスを感じるようになったジェーン

結婚から26年後に離婚した

1953年、53歳の時 看護師のエレインと2度目の結婚したが、11年後に離婚

 

「私は死ぬことを恐れていません。ただ死ぬ前にしたいこと発見したいことが山ほどあるのです」

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