母と生き別れたノブコブ吉村の苦悩

解決!ナイナイアンサーで紹介

●母と生き別れたノブコブ吉村

お笑い芸人:平成ノブシコブシ吉村崇

1980年、北海道札幌市で飲食店を営む父と母の間に生まれた

そして6歳の時、吉村が「保育園を休む」と言ったのをきっかけに両親が喧嘩

「崇、お父さんとお母さんちょっと大事な話があるからちょっと表に出ていなさい」

数十分後、家に戻ると1人で泣いている父の姿が…

すでに母親はいなかったので、

離婚のきっかけは自分にあると思っていた

数日後、父の実家へ引っ越した吉村は祖父母と共に暮らすことに

後日、吉村が出て行った後、両親は離婚の話をしていた事を、

母は自分を残して離婚を選択した事を祖母から聞いた

友人には高校入学まで母がいない事を言えなかった…

あれから6年後マラソンの練習をすると行って向かった先は、

離婚した後、生計を立てるため母が営んでいた喫茶店「窓硝子」

6年ぶりの再会だった

マラソンの練習と偽り、毎日のように母に会いに来た

そんなある日、母の住む部屋に招き入れてくれた

そこには幼い吉村の写真が飾られていた

母は今でも自分の事を愛してくれている…そう確信した吉村は、

「お願いがあるんだ。もう一回うちに戻って来てよ」

6年間抱え続けた思いを吐き出した

「崇の事は愛しているけどお父さんの事は愛してないの…ごめんね…」

と言われたのがきっかけで、吉村は母の喫茶店へは行かなくなった

そして19歳の時、札幌へ帰った吉村は母親の喫茶店へ訪れた

7年ぶりの母との再会、12歳の時と同じ席…そして、

「お祖母ちゃんが死んだよ。それだけ言いに来た」

吉村が母を訪ねたのは祖母の死を伝えるためだった

母が知らない自分を育ててくれたのは祖母、

その死を母にどうしても伝えたかった

「ちょっと待って。これ持って行きなさい」と2万円を手渡された

母と会ったのは17年前のこの日が最後…

吉村は今も母がくれた2万円は大切に持っている

 

ノブコブ吉村が今も悔やむ祖母への最後の言葉

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